- 2016-3-3
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こんにちは、中西です。
1週間ほど前から
「好きなこと論」シリーズ
に突入しています。
前回は、
「『生計を立てる』ためなら
『嫌いなこと』でもやらなければならないか?」
という疑問についての1つの回答として、
「1日の中で『嫌いなこと』をやる比重」
を工夫することで解決できるパターンがある
という話をしました。
今回はその続き。
先日も告白したとおり、
私は「書くことが嫌い」なのですが、
この「書く」という作業は私にとって
・「やらなければいけないこと」
であり
・「得るものがとても多いこと」
なのです。・・・さて、ここでどう判断すればいいのか。
「大好きなことをして、自分らしく生きよう!」
という巷(ちまた)でよく聞くフレーズを
本気でまんま実行するのであれば、
「嫌いなこと」なんてやってはいけないわけです。
しかし私にとって「書くこと」は、
「嫌いなこと」であると同時に
「得意なこと」でもありました。
たしかに、前々回くらいでご紹介したように
「得意なこと」と「好きなこと」は違うので、
そこを混同していると、
先日紹介した音楽好きの水泳選手のように
幸せになれない可能性が高まります。
が、私は「書く」という「嫌いなこと」を選択しているのです。
矛盾してますか?
いっけん矛盾しているようですが、
実はこれは矛盾ではなく
「現実的な妥協案(解決策)」
を私は選択したのです。
どこで妥協しているのか?
【 1日の中でその作業にかける比重を低くする 】
という部分で“妥協”しています。
具体的には、「メルマガを書く」ことに
費やす時間を30分~1時間半前後にして
これ以外の書く作業を極力控えています。
この範囲内の「比重」であれば、私の場合は
長期的に続けられることがわかっているからです。
これを“妥協”と表現しましたが、
あくまでここでいう“妥協”は
限りなくプラスの意味に近いニュアンスです。
より正確にいうなら、
これは「見極め」になります。
前回も書いたとおり、
「0から100まですべてが自分に合った
パーフェクトな仕事(働き方・会社・職業)」
なんて探していたら、それだけで人生が終わりかねないのです。
この程度の当たり前のことを語る
「好きなこと」論がなぜかほとんどありません。
私の場合、書く時間が1日4時間、5時間、6時間・・・
という作家的な生活を長期的にやっていくことになったら、
まあ正直「得意なこと」ではあるので
やってやれなくはないでしょうが、感覚としては
「生きていて全然楽しくないぜ。こんなの自分じゃないぜ」
という感じになります(笑)
こういった
「どこまでの比重なら自分は妥協できるか」
という
「見極め」
は、私のような職業・仕事形態に限らず、
多くの人にとって重要なポイントになります。
この「妥協できる“比重”を見極める」上で
参考になる人物が2人いました。
誰もが知る超有名な某漫画家と、
老人の下(しも)の世話までする介護の仕事を
「楽しくてしかたない」「完全に趣味」
と十数年も豪語している私の母です。
この二人の発言に
“ある共通点”
があることに気づいたのです。
好きなこと論シリーズの「現実的妥協」編、
後編に続きます。
To be continued
※追記:次回の記事はこちら⇒「好きなこと」が「嫌いなこと」に変わるラインがある