こんにちは、中西です。
今回は、「受験生の読書」は有りか無しかについて。
とくに本好きの人はそうだと思いますが、受験勉強をしていると「無性に本が読みたくなる」ことは少なくないと思います。受験勉強でなくても、定期テストの期間中に限って、なぜか無性に読書がしたくなったりする人は多いです。
目の前の勉強に没頭しきれず、そんな自分が嫌で、その現実から逃避したい心理の表れで読書欲が増してしまうのかもしれません。
私自身も、大学受験のときは猛烈な読書欲がありましたが、完璧にそれを抑え込んでいました。“読書禁止令”を自分に出していたのです。
厳密には読書以外にも、漫画も、テレビも、音楽も、大好きだったものを全部完璧に禁止しておりました。中でも読書の衝動を抑えるのが一番大変でしたが、絶対合格してやるつもりだったので、この“全コンテンツ閲覧禁止令”は、自分の中では当たり前だったのです。私の場合、性格的に0か100になってしまう傾向があり、一度見出したらかっぱえびせんなみにやめられない止まらないになるため、そうするしかありませんでした。自分の弱さを自覚していたので、すべてのコンテンツを0にするしかなかった感じです。
結果合格できたわけで、あのとき期間限定で0にして良かったと心底思います。まあその反動で受験終了直後から本を大量に買い込んで、しばらくずーっと朝から晩まで読書をしていたのですが。
ただし、これはあくまで「当時の」「私の」パターンなので、この“全コンテンツ閲覧禁止令”を、「すべての受験生が絶対そうすべき」とまでは言えないと思っています。個人的にはそれが激しくおススメですし、昨日こちらの記事の一番下で書いたように、
▼大論争!3教科に絞るべきか or 5教科すべて勉強すべきか?~みんなの意見と中西の回答~
受験生のわずか数ヶ月間くらいは極力余計なコンテンツを見ることは避けるべきだと考えますが、でも中には「音楽を全く聴かなかったら死んじまうっす。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。」とか「『進撃の巨人』の最新刊だけは、どうか読ませてください神様(。´Д⊂) 」とか「週1のワンピースだけは死んでも外せない。これを読まないと逆に気になって勉強に手に付かなくなる」とかなんとか、人によっていろいろ事情もあるでしょう。
受験の神様、和田秀樹先生も受験生時代に映画を1年で300本くらい鑑賞されたと何かの本でおっしゃっていました。映画を観た満足感・罪悪感・時間が無くなる緊張感によって集中できたとのこと。自己コントロール力があり、その時間をプラスに転換できる自信があるなら、そういう時間の使い方もあるのでしょう(ただし和田先生の場合は灘高校で高1~2年の蓄積も普通じゃないほどあったと思いますので、そのままあなたが真似ていいかどうかは要検討すべきだと思いますが)。
また、勉強のやる気アップテクニックとしての「やる気アップ曲」とか、ご褒美として何らかのコンテンツ閲覧を設定する場合もあるでしょうから、自分の事情や性格に合わせて、読書を含めた各種コンテンツにうまく触れていってほしいと思います。
ここからは、受験中にわずかずつでも読書などなんらかのコンテンツを閲覧する人に、注意点とコツをお伝えしておきます。
まず注意点ですが、「閲覧する『言い訳』をしていないか」を、常に自分自身に問いかける必要があるということです。よくある例は、読書をしている人がこんな言い訳をして読んでいることがあります。この場合↓は、危ないです。
「この本も、小論文や現代文に出るかもしれないしね」
「ニュースや情報番組くらいは、世の中のことを知っておくためにも見ておいたほうがいいはず」
「これを読むのは、きっと『読解力の養成』にもつながっているはず」
「本を読めば『幅広い教養』が身につくから、国語系はもちろん、英語の長文などに対応できる力もつくはず」
・・・この「広い意味で役に立つ」「長期的には無駄にならない」という考え方は、読書など受験と関係ないことをする“言い訳”として使われる場合もあれば、指導する側の先生が本当にそう考えておられて、この話をすることもあります。
たとえば「現代文の力を付けるために、天○人語と社説を読もう」的な話です。たしかに天○人語や社説は「長期的には無駄にならない」ですし、「広い意味で」読解力養成にもなると思いますが、時間の無い受験期間における時間対効果を考えたときに、それが現代文の実力アップに直結する勉強法とはとても思えないわけです。簡単な現代文の問題集をやって、「解き方のコツ」を実践的に覚えた方がよほど早いと思います。
このように、受験に直結しないけど「広い意味で役に立つ」「長期的に無駄にならない」というレベルのコンテンツは世の中には無限にあり、それを見たい人にとっては都合がいい理屈なので、この思考の罠に嵌ってしまう人が多いのでしょう。
昨日の「大論争」の記事で「受験科目だけでなく、5教科全部やったほうがいい」という意見だった人の多くが、その根拠に挙げていたのがこの「広い意味で役に立つ」「長期的に無駄にならない」という考え方でした。
▼大論争!3教科に絞るべきか or 5教科すべて勉強すべきか?~みんなの意見と中西の回答~
昨日はいちおう「賛否両論併記」+「中西の見解」という形で記事にしましたが、(そこでも書いたとおり)私自身は「広い意味で役に立つ」「長期的に無駄にならない」程度の勉強など、「人生が大きく左右される超限られた時間の中での戦い」においては、決してやるべきではない、という考え方です。
なのでハッキリ言うと、限られた時間の戦いにおいて「広い意味で役に立つ」「長期的に無駄にならない」という理由でいろいろコンテンツを閲覧したり、受験教科以外の科目の勉強をするのは、時間の無駄以外の何ものでもない・・・と私は思っています。そういう情報をインプットすること自体はとても重要ですが、それは高校1~2年生までか、大学入学後にやればいいのであって、よりにもよってわずか1年にも満たない受験期間中にそんなコンテンツに触れている場合ではないだろう、ということです。
くり返しますが、それらを一定の頻度で視聴・閲覧・鑑賞しないと本当に調子が狂うタイプの人とか、自己管理能力に自信がある人、あるいはやる気アップ曲とか「ご褒美として漫画を見る」など、それをプラスに転化できている確信があったり、何らかの形で勉強のパフォーマンスアップにつながる目的があって見るならいいと思います。
しかし昔の私みたいに不器用な人は、もうそんなものは思い切ってバッサリ全部切り捨てたほうが、合格を手に入れる確率は上がるでしょう。若干ニュアンスは違いますが、ある意味で「泣いて馬謖を斬る」という感じでしょうか。・゚・(ノД`)・゚・。(三国志ファンしかわからん…)
どうしても勉強以外で習慣的に触れたいコンテンツがある人は、前にこちらの記事に書いたとおり、
「時間」と「場所」をしっかり決めて実行した方がいいと思います。それで自分を制限しやすくなりますからね。
もし私がタイムスリップして受験時代に戻っても、同じように再び“各種コンテンツ全面禁止令”で受験にチャレンジしますし、私の子供が大学受験を迎えても同じように指導するでしょう。
というわけで、この「広い意味で役に立つ」「長期的に無駄にならない」という考え方は、受験勉強においていろいろと誤解しやすく、“言い訳”にもなりやすい注意すべきワードだと考えられますので、もし自分がこの思考をしているときには、ちょっと注意して冷静になって一度考えてみたほうがいいですね。
それではまた。
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