- 2012-3-6
- 1ヶ月100記事企画, 受験を突破するマインドセット
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今回の記事は⇒「将来本物の幸せを手に入れたい受験生」が対象です。内容が参考になりましたら、本文最後で応援クリックをもらえると嬉しいです。
こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
国公立大学の前期試験まで終わった今、だいぶ落ち着いてきたのですが、
センター試験が終わってから1週間ほどのあいだは、
私の元に、すごい数の今後の勉強やら進路相談の質問がきておりました。
当会で運営しているOCP(受験勉強オンラインコーチング・プログラム)の生徒からはもちろん、
ブログやメルマガの読者さんからも、
非常に多くのご相談・質問をいただきました。
ただ、本当に申し訳なかったのですが、
時間の関係で、OCPメンバー以外の方に対しては、すべての方へはお返事ができませんでした。
(お返事ができなかった方、本当にすいませんm(_ _)m
すべての質問に目を通しておりますが、時間の関係上、どうしても全員へのお返事はできかねます。
他意はありませんのご容赦ください)
そのたくさん頂いた質問の中で、よくあった内容の1つが、
「赤本って、何年分やればいいですか?」
という質問。
この質問が来るたびに、
「うーん、なんでこんなことを質問をするんだ?(-_-;)」
と首をひねらざるを得ませんでした。
たとえば、その人に何か特殊な事情があって、
その事情をすべて教えてくれた上で、
「このような状況の場合、赤本を何年分くらい
やっておけば間に合いますか?」
といった質問なら、まだ多少わかるんですよね。
ところが、届いた質問の多くが、
「『一般的に』赤本って、何年分くらいやるものですか?」
という内容がほとんどだったんです。
正直、申し訳ないのですが、
「もっと自分の頭で考えようよ(-_-)」
と思ってしまいました。
「『一般的に、赤本って○年分やるといい』という答えがあるだろ。その答えをさっさと教えてくれ!」
というふうに、私には聞こえてしまいました。
「受験勉強」や「勉強法の勉強」をやりすぎる危険の1つは、
いつのまにか、何でもかんでも「正解」があって、
その「正解」を探してばかりの思考回路になってしまうことです。
「思考習慣」
と言ってもいいかもしれません。
受験勉強には必ず「正解」があるので、あまりにもハマりすぎると、
脳の思考回路(思考習慣)が、
常に「正解を探し回る」だけに
なってしまうことがあります。
これは、とっても危険なんですね。
そこで、今回私からお伝えしておきたいことは、
【 何事においても、「まず」自分の頭で必死に考える習慣 】
を身につけておこう、ということです。
たとえば、先の「赤本は何年分やるべきか?」の質問ですが、
「なぜ赤本をやるのか?」
という点をよくよく考えてみれば、
人に聞かずとも、おのずと
「何年分やればいいか?」
の答えは出てくるのではないでしょうか。
そもそも赤本をやる理由は、結局のところ、
「志望校に合格するため」
のはず。
もちろん、
「傾向を分析するため」
「出題傾向に慣れるため」
という点も、赤本をやる理由の1つとも言えるかもしれませんが、
「傾向を分析する」ことも「出題傾向に慣れる」のも、
それ自体が最終目的ではなく、
結局のところ、「志望校に合格する」のが本来の最終目的です。
であれば、「赤本は○年分やるべきか?」という
質問自体がナンセンスで、
【 可能な限り、すべてやる 】
のが正解に決まっています。そう思いませんか?
この「可能な限り」というのは、
本番までに自分として絶対にやっておくべきだと考える
【 過去問以外の勉強、復習、最終チェック 】
などとのバランスを考慮した上での、
「可能な限り」ということですね。
「すべて」というのも、
「掲載されている年度分全部を、絶対にやらないといけない」
ということではなく、
こちらも自分自身の他の勉強事情と、
残り時間まで含めて、
総合的に考えた上での「可能な限りすべて」という意味です。
たとえば、3年前から英語の出題傾向が
一部変わっているのであれば、
英語はここ3年分だけやって、それ以前の分は
他の勉強もしなければいけないのでやらない、とか。
あるいは、他の勉強や復習もバッチリなので、
あとは自分は過去問の実践だけだから、
多少傾向が違っていても、3年前以前のものも
やっておこう、とか。
そういった形で、自分の状況を総合的に考えて、
「自分の場合は、赤本を○年分やる。
ただし英語は△年分だけやろう」
といった判断をすべきなのです。
ようするに、この点において、
「一般的な正解」
というものは存在しないはずなのです。
正直それを私に質問されても、
「あなたにとって『可能なかぎり、すべて』をやって下さい」
としか言いようがないです(-_-;)
私がここで一番強調しておきたいのは、
赤本をどれくらいやるべきか、という話ではありません。
それ以前の問題として、
「自分の頭を使って、必死にものを考える習慣は、生きていく上で極めて極めて重要です」
ということ。
先ほど「思考習慣」と表現しましたが、
「一度自分の頭でしっかり考える」
ということが、日常的にできるかどうかというのは、
これはもう「脳の習慣」になってしまう話なので、
非常に怖いです。
若いときに「自分の頭で考える習慣」を無くした人は、
その習慣を生涯引きずる可能性が高いです。
そうなると、いろんな情報にだまされたり、
「あれがいい」「これがいい」
といった世の中に氾濫する話に右往左往したりして、
「自分にとっての幸せ」
を勝ち取れなくなります。
「幸せ」にルールなどありませんから
それは自分の頭で考えて定義する以外にないのです。
よって、自分の頭で考える習慣がない人は、他人が言う「一般的な幸せ」を、自分の幸せと定義するしかありません。
そうやって過ごして、何年後・何十年後かにやってくる
とてつもない大きな後悔が
自分の頭で考えなかった代償 (゚д゚;)
になるわけです。
赤本の話から、かなり突っ込んだ話に発展しましたが、
「自分の頭を使って必死に考える習慣」
というのは、受験に限らず、
職業選び・仕事・結婚・友人関係などなど
生きていく上での、ありとあらゆる場面で大きな鍵を握ることになる、恐ろしく重要な習慣です。
それほどまでに重要な習慣ですが、
今の学校教育では一切身に付けられない
習慣でもあるので、
(私自身の自戒もこめて)その重要性を、ここで今一度、
あなたにも再認識しておいて頂ければと思います。