- 2017-3-18
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こんにちは、中西です。
今回は、みんな大好き「好きを仕事に」しなければならない理由について、私なりの考えの一つをお伝えします。
いっけん関係ない話から入りますが、最終的にはそのテーマに着地しますので、最後まで読んでみてください(やや長めですが3分くらいで読めるはず)。
ちなみに、ちょうど1年前にこのテーマで長編シリーズの記事を書いていましたが、今回はいわばその続編です。
本題へ。
この10年ほど、私の座右の銘(複数あり)として、ずっとトップクラスに君臨しているある言葉があります。
それは
「脳がちぎれるほど考えよ」
というものです。
これは孫正義さんの言葉ですが、たしかソフトバンク社員向けのクレド(心がけるべき信念的な言葉)の1つにもなっていたはず。
一時期はこの言葉を私は紙にもPCにも書いて、壁にも貼っていました。
アイデア出し用のかなり大きめサイズ(A4)のノートの表紙に、ぶっとい黒のマジックペンで「脳がちぎれるほど考えたか」とだけ、書いていたこともあります(°□°;)アヤシイ
といっても、この言葉を知るはるか以前に、「徹底的に考え抜く」ことの重要性を、ある心底尊敬できる天才経営者の方の元で働いていたときに教えていただいた(というか叩き込んでいただいた)経緯がありました。
まさにその重要性を端的にわかりやすく思い出させてくれる言葉として、上の孫さんの「脳がちぎれるほど考えよ」は素晴らしいと感じ、以来ずっと自分なりに座右の銘的に日々(というか日中何度も)チェックするようにしてきました。
松下幸之助(経営の神様=つまりは社会人のある意味でのトップ)も「考え抜く」ことの重要性をあらゆる場面で頻繁に指摘していましたし、ちょっと前にも記事に書いたスーパーホワイト企業の未来工業の「常に考える」も有名ですが、
このマインドセットは別にビジネスパーソンに限らず、どの分野でも一流と呼ばれる人たちはもちろん、そこまでいかずとも一定以上の結果を出している人なら、一人の例外もなく、みんなこの「考えまくること」が一日の標準モードになっているのです。
こういった事実を知らない人は、ビックリするほど何も考えないで、日々周りに流され、上から言われるがまま、生きていたりします。
大きな声で言うと怒られそうですが、かなり少なく見積もっても世の中の8~9割以上ぐらいがそんな「考えまくる習慣がない人」だと個人的には感じます<(_ _)>
もちろん何も考えないで生きている人などいませんが、何らかの結果を出している人・出し始めている人・これから確実に伸びていく人、といった人たちは、「考え抜く」「考えまくる」「頭痛がするほど考える」「頭が爆発するほど考える」「知恵熱が出るほど考える」「脳がちぎれるほど考える」・・・といったことが、「本気モードで」とかではなく、ごくごく“いつもの日常のこと”になっているのです。
「頭が爆発」「頭痛」「脳がちぎれるほど」「知恵熱」というのはあくまでイメージの表現ですが、実際のテンションとしては、このレベルで「考えて考えて考えて、さらにもう一回二回三回考えまくる」というのが、“ごく普通の当たり前の日常生活”“呼吸するのと同じくらいの話”になっているのです。
この当たり前のスタンスがない人や組織(企業)はどうなるかというと、自分では全くと言っていいほどアイデアを出せない(出さない)分、通常以下の仕事しかできなかったり、どこにでもあるような普通以下の商品・サービスを出したり、「しょっちゅう他人(他社)のアイデアをパクってその都度短期的に大喜び(゚▽゚)/ヤッホ~」し、常にその繰り返しでしか生きていけないような、私に言わせれば哀れな盗人ウ○コ以下人間(業者)にまで落ちぶれることとなります。
余談ですが、松本人志がお笑いトップだと言い切れるのは、畢竟、彼以上にお笑いについて「考えて考えて考えまくった」人物がかつていなかったからです。ビッグ3と呼ばれる人たちも、こと笑いについて考え尽くした度合いやそこから出てきた発想・洞察は松本人志にかなわないと思います。その彼が考えたごく一部が、「ごっつ」であり「笑ってはいけない」であり「すべらない話」であり「IPPONグランプリ」であり、毎週異なる笑いを提供して30年近くになる「ガキ使」なわけです。
なぜ今回のような話をするのかというと、最近配信してきたいくつかの記事とも通じるのですが、必死に頭を使って物を考えない人は、その考えなかったことと引き替えに、誰か(会社・国も含む)に依存・隷属する立場にならざるを得なくなるからです(超重要)。
だって、自分では「考え抜く」ことをしなくても、人から命令されて言われるがまま言われたとおりに、飼い犬のごとく、奴隷のごとく生きていくことも、できると言えばできますからね。考えないで言われたままやるほうが人間はラクですから。
大学生活だって、ほとんど何も考えないでボケーッと4年間を終わることも余裕でできますよ(=´∀`)
ただしそういうスタンスの生き方だと、どこまでもコントロール権が自分にないので、その「考えない」怠慢と引き替えに、不自由で不安で不快な人生になる確率が極限まで高まる生き方になります( ̄□ ̄;)。やりたい方はどーぞ。(なお「サラリーマンだから」「経営者だから」「学生だから」とか関係ないです)
実は、よく言う「好きなことで生きていく」や「好きを仕事に」しなければならない本当の理由もここにあるのですが、それに気づいている人は本当に少ないです。何年もずっと「考えまくる」には、どうしたって「好きなこと」でなければムリなのです。
そうでない場合、何年たっても金曜日の夜を常に心待ちにし続ける人生がすぎていくことになるでしょう。
人は好きでもないことを、何年にもわたって四六時中延々「考えまくる」なんてできませんからね。非常にシンプルな話です。
バブル期ならまだしも、現代において教育でもっとも重要な教えがあるとしたら、他のどんな知識よりも、まずこの「(好きなことを中心に)『考えまくる』ことが日常生活で当たり前になる感覚」を身につけることだと思います。
残念ながら、現状ほぼ全くこのマインドセットの重要性は教育において教えられていないわけですが、最近は民間でも文科省でもアクティブラーニングなどが出てきて指導要領も変わりつつあるようですし、
それがさらに一歩突き抜けて、国民の多くが「脳がちぎれるほど考えまくる」ことが日々のスタンダードになったら、そこから10~20年後くらいにこの国はあらゆる業界・分野で凄まじいブレークスルーを果たすと思います。国の教育でそれができたら、ですが。
ここ数年は多くの業界で人手不足の時代になっているのはご存知の通りですが、この人手不足を頭を使って生産性の向上で乗り越えず、人件費が安価な外国人労働者をどんどん入れて、それで補ってしまおうとする動きがあります。それをやっちまったら、その業界は衰退するでしょう。
人手不足を必死で工夫して「生産性向上」で乗り越えてきたのが日本の戦後の歴史ですし、そもそもそれが資本主義のいわば本質なのです。その生産性向上によって一人当たりの売上が増えヾ(≧▽≦)ノ、結果として一人一人の給料も上がっていくはずなのに、人件費が安い外国人労働者をどんどん入れていくのは、ヨーロッパの状況を見ても明らかに間違っていると言えます。
何が言いたいかというと、国も企業も組織も人も、「考え抜く」ことをおろそかにしている場合は、いずれ時間とともに衰退していくということです。逆に徹底的に「考え抜く」ことができれば、解決できない問題などほとんどないと私は思います。
というわけで、そんな国民全員が日々「考え抜く」人たちであふれかえるジャパニーズ黄金時代が来るまでは、業界や専門分野に関係なく、社会の構造が突然著しくゆがんでしまわない限り(急に独裁国家になるとか(°□°;)チョーセン)、
「考えて考えて考え抜く」ことが標準モードになっている人たち【だけ】が、時間とともに確実にいろんな意味で豊かになり、自由になり、結果を出し、自尊心が満たされ、幸せになれる時代が続きます。間違いなく、絶対に。
この当たり前の事実に気づいて、日々実践し続けた少数派の人たちから、経済的にも一定以上豊かで、精神的に自由で、ワクワク・楽しい、面白い人生になっていく、ということです。
そのすべてのベースとなる「考えまくる」状態を何年も標準モードとして維持し続けるためには、どうしたって「好きを仕事に」するほうが、一番簡単だし、ラクだし、何より楽しいし、飽きないし、うまく行く確実性も高い、ということですね。
以上が、21世紀の日本において「好きを仕事に」しなければならない理由です。
それではまた。
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