こんにちは、中西です。
本日は日曜日ですので恒例の雑談系ネタで。(このメルマガは日曜日は雑談になることが多いです)
小学3年生の姪っ子がいるのですが、母親(私の妹)に突然、こんな質問をしてきました。
「なーなー、お母さんの好きな言葉って何?別に四字熟語とかことわざじゃなくてもいいし。1文字でもいいで」
…なかなか答えに困る問題です(笑)
ちなみに聞いてきた本人の好きな言葉を確認すると、
「あたしはなぁ、人生って言葉。人が生きるって書くやん?何か神様への合図みたいで、この言葉聞くと元気が出るねん!」
…なんかすごいんですよね。小3でこんなこと考えるかなと。私が小3の時なんて、友達と電気アンマとかカンチョーとかやり合ってましたから。。
で、妹(母親)がなんて返したかと言うと、
「恩送り」
だったそうな。「恩返しじゃないの?」と姪っ子。
私も久しぶりにこの言葉を聞いたのですが、恩返しならぬ「恩送り」と言う言葉があるんですよね。
どういう意味かと言うと、
「誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること」(ウィキペディア)
になります。
なかなか深い言葉だなと思います。大人にもあまり知られてないんじゃないでしょうか。
個人的な経験則ですが、恩返しと言うものを考えたときに、よくぶつかる壁は、
「どう考えても受けた恩を返しようがない」
ということです。
ここはある種想像力も要求される所じゃないかと思いますが、どう考えても自分が受けた恩を、その相手の方に返すことが難しいと思われることも多いです。
もうなかなか会えなくなっていたり、場合によっては鬼籍に入っていたり。
もっと広い意味では、自分が生まれたときにはもう既にこの世にいない人たち(先祖や、過去に生きてこの国を作ってくれた方々など)からの恩と言うものもあるんじゃないかと思ってます。
その場合、特定個人に恩を返すのは不可能です。
数ヶ月前に私の祖母が亡くなりましたが、ろくに恩返しできないままでした。
こういったことを考えると、「恩返し」というのはとても大事ですが、それを完遂する事はものすごく難しいことともいえます。
じゃあどうすればいいのかと言うと、「恩送り」するしかないと言うことです。
だから多分この言葉は、そういった「恩返し」と言うのは、ある程度まではできるけど、しっかり遂行するのは非常に難しいという諦念からできた言葉なんじゃないかなと勝手に思ってます。
余談ですが、私の出身地の滋賀県で昨日と本日、イナズマロックフェスティバルと言う10数万人が集まるロックフェスがありました。
滋賀県出身の西川貴教さんが10年前からやっているフェスですが、元々の発端は彼が数年前に亡くなったお母様に感謝の意味を込めて開催したものです。
だから西川さんの誕生日の時期に必ず開催されるのですが、時期的に、このフェスはものすごい高い確率で台風や雨に見舞われます。
私も2年前に行ったのですが、とんでもないことになっていました。足元のぬかるみが田んぼよりひどくなっていて、泥に足が埋まり、みんな靴がもう使い物にならない感じ。
でも誰も文句を言わないのです。あれだけ人がいたらブチ切れる人がいても全然おかしくないのに、誰も文句を言わない。
それはイナズマロックフェスが西川さんの「恩送り」の趣旨が濃いイベントだと言うことを、みんなが理解しているからじゃないかと、私は思いました。凄いイベントだなと。
「恩送り」の気持ちを強く持って生きている人のパワーは、やはり一味も二味も違うと感じます。
と言うわけで、少し想像力を働かせれば今の自分は恩だらけで生きていることに気づくと思いますが、
直接の「恩返し」を大事にしながらも、それを別の人に送る「恩送り」の精神を持って生きる人がたくさん増えれば、この世界はもっと良くなるような気がします。
超絶かっこいい西川アニキに習って、自分もできる範囲で恩送りしたいなと思った次第。
それではまた。