- 2015-9-6
- おすすめ記事, その他・雑談, 受験が終わった後について, 受験の意味を考える
こんにちは、中西です。
よく「目標を持って生きよう」という話がありますが、人が生きて行く上で常に中長期的な目標が必要かというと、必ずしもそんなことは無いと個人的には思っています。
ときどき自己啓発本やインタビューなどで、何かを成し遂げた有名人が「目標なんて別にいらない」的なことを言っていることがあるのですが、それはそれで一つのあり方。
長期的な目標、高い志、デカイ夢、壮大なミッションに向かって前に進んでいくのはかっこいいわけですが、人の成功パターンを見ていくと、必ずしもそういった「何年(ときに何十年)もかけて、大きな目標に向かって進んでいく」だけが成功パターンではないことに気づきます。
AKB48のプロデューサー秋元康氏なども以前から「長期的な目標は作らない」と公言していて、その場その場で自分が面白いと感じることをやっていくというスタンスです。AKBはそのプロセスで生まれた1つの作品なわけで、別に彼が若い頃から「日本一のアイドルグループのプロデューサーになりたい!」という目標を持って生きてきたわけではないわけです。
彼の映画「着信アリ」なんてのも、別にホラー映画を撮りたいという目標を昔から持っていたわけではなく、たまたま「自分の番号から電話がかかってきたら恐いだろうな」という着想から作られた映画でした。
こういった「長期的な目標」や「大きな志」のようなものを持つのではなく、その時どきの積み重ねで生きていく・働いていくというパターンがあります。
では生きて行く上で「目標なんて不要」かと言われると、これについてはおそらくですが“正解”なんてないんですよね。ただ1つはっきりしているのは、何もしないでボーっとしている期間が長いのは良くないということ(当たり前ですが。でも読者さんに多い大学生などはそういう風になりがち)。
このあたりについては、あまり正解を探すような感じで「人生には目標が必要か?それとも不要か?正解はどっち?」なんて形で考え続けても大して意味がないので、「目標のある時期」と「目標の無い時期」があっていい、と考えればいいと思います。
受験生なら当然「目標のある時期」です。合格という目標を目指しているわけですから。
ただし合格後は、大学受験生なら大学生になるわけですが、通常はその合格した時点で一度目標を喪失します。ここで大学合格のための勉強に意欲を燃やしていた人は、五月あたりで「オレ、大学で何してるんだ?こんなことをするために大学に来たのか?」なんていろいろ思うわけですね。ええ、五月病のことです(笑)
この合格後の目標の喪失感があまりにも大きい人で、中高生のときに受験勉強に浸りすぎた人は、大学の自由さに耐えられず、最悪のパターンで自殺ということもあります。しかしそれは完全に間違っていて、実は単に「目標のある時期」から「目標のない時期」に人生のフェーズが移っただけなのです。
だから、後者の時期には
【 いろいろ動いて、いろいろ試す 】
ことが正解になります。
何が次の目標になるのか、何が自分に向いているのか、何が自分は好きなのか。
そういうことを見つけるために、「次の目標を見つけることが、目標」という時期に入ったと思って、いろいろ動いて、いろいろ試す。その意味でこの時期は「短期的なとりあえずの目標」はドシドシ作った方がいいです(短期的なとりあえずの目標の例:ノルマを決めて人と会う、語学を学ぶ、月○冊本を読む、短期留学する、海外旅行をする、資格を取る、サークルや勉強会を主催する・参加するなど)。
で、いろいろやっているうちに、大学時代に次の大きな目標や生涯やりたいこと・好きなことなどが見つかることもあります。しかし大学時代に見つかったらかなり早いほうで、普通は働きながら見つけて行きます。徐々に見えてくる、という感じでしょうか。20代で見つかったら早い方、というのが一般的な実態だと思います。
私の実感と多くの人のパターンを見てきての結論ですが、働いてからいろいろ経験して、いろいろ苦しみながらようやく見つけた「やりたいこと」や「目標」が、自分にとって本物のやりたいこと・本当に自分が望む目標である可能性の方が圧倒的に高いのです。
働かないで脳内シミュレーションをしているだけでは予想がハズレることがものすごく多いです。
私なんて大学時代の脳内シミュレーションでは万能の天才ビジネスパーソンでしたが(笑)、実際に働いてみて、自分がいかに出来ることと出来ないことがある人間かというのを、何年もかけて、それはそれはそれはそれは、痛切に痛い目を見ながら、多くの人にご迷惑をかけながら、お世話になりながら、助けてもらいながら、
自分という人間が出来ること、出来ないこと、自分の強み・弱み・やりたいこと・好きなことなどがようやく少し見えてきたのです。その流れを大学時代に予想するなんて不可能でした。
私が大学生のときに、いま私がやっているような仕事なんて予想だにしていませんでしたからね(笑)。大学時代どころか、社会人になってからこの仕事をやり出す直前まで、こんな形の仕事をするとは想像すらしていなかったのです。しかし、それで全く問題ないということ。
「ヘタな考え休むに似たり」なんていう言葉もありますが、大して経験も無い時点で深く深く心の内側までディープに見つめまくって「自分と向き合う」なんてことを長時間やっていても、大して得られるものなどありません。こういう時って変な精神世界とかうさんくさい自己啓発セミナーとかにハマリやすいので要注意(笑)。
そういうフェーズ(時期)にいるときには、急がずにいろいろ試したり、いろいろインプットしたりして、雑多なことを多数するのがいいと個人的には思っています。
あなたの可能性はたしかに無限大でしょうが、その内部に眠る可能性は、あなた自身も理解できていないことが大半なのです。いろいろやって、いろいろ試しているうちに、ちょっとずつ「好きなこと」「向いてること」「ワクワクすること」「楽しいこと」「やりがいを感じること」がわかってきます。ちょこっとした経験しかまだしていない段階で、頭でっかちで自分の心の内側ばっかり見つめても、しょぼーい、あやふやな、不安定な結論しか出てきません。
やっぱり何年か実際に働かないとわからない、気づけない、見つからないことってすーーーごく多いのです。
しかし、目標の無い大学時代に「いろいろ動いて、いろいろ試した」人は、そのときには気づかなくても、その経験がもとになってあとでいろいろな気づきにつながり(←これ重要)、最終的に何年かしてそれらが総合的に自分の中で見えてきて、自分のやりたいこと・好きなことがある時期からドーンと見えてくる。そんな流れがあると感じます。
だからあまり結論を急ぐのではなく(急ぎたい気持ちは痛いほどわかるのですが)、いろいろ試しながら、目の前のことに没頭し続けることがコツだと思います。「考える」よりも、「没頭しながら感じる」のがポイントかと。最終的に、動きながら「感じる」ことを大切にして行ってください。それを続けていくと、いずれ“自分”が見えてきます。
というわけで、「目標のある時期」はその目標に向かってまっしぐら(受験時代など)、「目標がない時期」はいろいろ動いて、いろいろ試す(短期的な目標だけとりあえずドシドシ作る)。このイメージをざくっと頭に入れておくといいと思いますね。
それではまた。