- 2024-9-13
- メンタルの話, 勉強のモチベーションアップ, 受験を突破するマインドセット
こんにちは、中西です。
ここ数回は、「幸せ」になる行動について考察をしております。
今回、シリーズでお届けしているこの
「幸せ」(≒幸せな気分・幸福感のアップ)
は、人間の根本的なモチベーションに関わる話でもありますので、
日々の物事に向かう集中力にも大きく関わる話です。
自分の幸福感アップを目指すからこそ、モチベーションも出てきて、集中力も高まりやすくなります。
その根本的な幸福感アップが何に影響しているかと言う話ですので、非常に本質的で重要な話になっております。
で、ここまでお届けしてきた内容は、
【 人は「他人の幸せ」のために行動すると幸せになれる…のではないか? 】
というテーマで近年は科学的にも研究が進んでおり、その研究内容をご紹介してきました。
1つの事例として、2021年にニッセイ基礎研究所が発表したレポート、
「他人の幸せの為に行動すると、幸せになれるのか?―利他的行動の幸福度への影響の実験による検証―」
にて、
「利他的行動で幸福になる可能性について、因果関係を示した最も有名な研究」
として掲載された研究をご紹介しました。
ポイントだけ簡単におさらいしますと、ここまで紹介した研究結果は以下の通り。
—————————————–
①自分のためにお金を使った人より、他人のためにお金を使った人の方が幸福感が高まった。
②他人のために使ったお金が5ドル(約750円)でも20ドル(約3000円)でも、結果は同じだった。(つまり金額の多寡は関係ない)
③人々は他人のためにお金を使うことによって得られる幸福感を、正しく予測できていなかった。
(自分のためにお金を使う・より多くのお金を使う方が幸せになれると思っていた)
④経済的に貧しい国でも、豊かな国と同じように「自分のため」より「他人のため」にお金を使う方が幸福感が高まった。
—————————————–
・・・ざっとこんな感じでした。
今回はこの続編ですが、実はこの
「人は利他的な行動で幸せになれるか」
というテーマで、もう一つ、別の角度から行われた研究があります。
どういう研究内容だったかと言うと、
「幼児でも利他的な行動をすると、幸せを感じるのか」
というテーマです。
ここまでご紹介してきた複数の研究は、様々な条件下で行われてきましたが、全て一定以上の年齢の大人を対象としたものでした。
これがもし幼児であっても、同じような結果が出るなら、それは人間の本質的な性質である可能性がより高まります。
あるいは幼児が持つ性質であれば、それがもう人間の本質だと考えても差し支えないのかもしれません。
※元の論文:Giving Leads to Happiness in Young Children
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0039211
この研究はブリティッシュコロンビア大学の研究ですが、
平均2歳未満の幼児に、自分がお菓子をもらった時と、
そのもらったお菓子を人形に分け与えてあげるように促され、分けてあげた時とで表情の違いを比較したところ、
人形にお菓子を分けてあげたときの方が、幸せな表情を見せました。
さらに、幼児たちは追加でお菓子をもらって、それを人形に分け与えた時よりも、
もともと自分が持っていたお菓子を人形に分け与えた時の方が、幸せな表情を見せたようです。
研究者によると、
「子供は自分の犠牲が伴うことであっても、他者に利益を与えることに嫌悪感を示すわけではなく、感情的にやりがいのあることだと感じていることを示唆している」
とのこと。
つまり幼児でも、利他行動に幸せな気分を感じている傾向が確認できたわけです。
これって、なかなかすごい結果ではないでしょうかね。
というのも、先ほどお話しした通り、これまでの研究では、様々な環境・条件においても大人は利他行動で幸福感がアップすることがわかっていましたが、
2歳未満の幼児ですら、利他行動によって幸せな気分になると言うことなら、それはやはり
【 「他人の幸せのために行動することが自分の幸せにつながる」のは、人間に本来備わっている本質的な資質 】
である可能性が高いことを示しているはずだからです。
昔から議論されていることに、人間の性善説・性悪説(人間の本性は善なのか悪なのか)と言うものがありますが、
ここまでご紹介した研究を見る限り、少なくとも性善説の要素は十分備わっていると言えそうです。
とはいえ、幼児も教育(しつけ)しなければ悪い方向にも行きますので、0か100で考えること自体がナンセンスなのかもしれません。
余談ですが、私が大学時代に読んだ丸山敏秋氏という社会教育者の方の「教育力」と言う本の中で、
「人間は性善説でも性悪説でもなく、『性悪説から性善説(善なる存在)に向かっていく存在』である」
という趣旨の記述がありました。
丸山氏が性悪説と性善説を論考しつくした結論として書かれていたと記憶してますが、
それを読んで以来、人間は性善説or性悪説の「どちらなのか」という発想はしなくなりました。
ただ、丸山氏の見解が正しいかどうか私には長年よくわかりませんでしたが、
今回ご紹介しているような近年の科学的な研究を見る限り、おそらく人間はどちらの要素も含んでいるのでしょうけど、
「性悪の要素を持ちながらも、自らの幸福を求めて利他行動を取り、善に向かっていく」
という感じになるのかなと。
そもそも悪の要素が本当に0なら、善を認識することができませんからね。
そう考えると丸山氏の見解はやはり正しかったのかなという気がしております。
いずれにせよ、前回まで紹介した一連の研究結果に加え、幼児ですら利他行動によって幸せな気分になれるという事実は、
人間の本質(少なくともその一部)が
「他人のために行動すると幸せになれる」
ように最初からできている…と言っても差し支えなさそうです。
To Be Continued