こんにちは、中西です。
最近ネットを利用していて思うのは、無限の情報にアクセスできる超情報化社会になった一方で、各個人が接している情報は逆に狭まっている感じがあることです。
全ジャンルの情報が揃っているので、どんな人でも自分好みの情報にアクセスできる結果、それ以外の自分の知識や価値観の外にある情報にアクセスできにくくなっている気がします。
物理的にはすべての情報に簡単にアクセスできる仕組みがあるのに、結局は自分の器レベルに合った情報しか入ってこない。
YouTubeにしても日頃自分が見ている動画と関連する分野の動画ばかりが出てきますし、アマゾンも普段自分が良く購入する本と同じジャンルか近いジャンルの本しか出てきません。
つまりビッグデータから導き出される統計的に「この分野の本(動画)を見ている人は、別のこのテーマの本(動画)を見る可能性が高い」といったマーケティングに優位なアルゴリズムによって、受け取る情報が限られてしまっている気がします。
それはつまり統計であって、一個人と言う人間が持つ「豊かな多様性」は想定できないと言えます。
集中力のテーマに興味を持っている人間が、ディープな経済のテーマに興味を持つ可能性を予測できないわけです。
その同じ人間がドラゴンボールとあいみょんと水ダウとクリストファーノーランとそろ谷のアニメっちにハマることは予測できないと。
その意味でYouTubeもアマゾンも基本的には予定調和な「オススメ」しか出てこないなと感じます。
大きな本屋に行ってウロウロ歩いているうちに、普段自分が全く興味がない分野だけど面白そうな本や雑誌に偶然出会って新しい引き出しができるとか、
古本屋を見て回っているうちに全然知らなかったジャンルの数十年前の良質な本や漫画を見つけ、自分が知らなかった価値観を持つ世界を見つける…といった体験が減っていると思われます。
プラットフォームを運営する巨大IT企業がAIを駆使したマーケティングで効率を極限まで追求しまくった結果、
利用する個人個人はすっごい狭い情報しか受け取れなくなるリスクが高まっているのかもしれません。
情報がタコつぼ化されて、企業のマーケティングのアルゴリズムで知らぬ間に同じような分野の情報ばかりグルグル回って入手し、自分の世界が広がっていないこと自体にも気づけない。
先日稼ぐために「情報の希少性」を意識する話をしましたが、この「情報のタコつぼ化」は無限の情報にいつでも接していると錯覚してしまう現代においては、意外と盲点になっていくかもしれません。
こういう時代ほど、時々大きな本屋や古本屋をウロウロ歩く「アナログの情報収集」が重要かもしれませんね。
それではまた。