- 2017-2-7
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こんにちは、中西です。
先日、家の中を一気に断捨離したのですが、
そのときに相田みつをのカード(はがきサイズ)
が棚の奥から一枚出てきました。
私が10代の頃、なぜか実家のトイレに
相田みつをの日めくりカレンダーが貼って
あったので、
毎日トイレで用を足しながら相田みつをの
言葉を眺めていて、パンツを下したかっこうで
「ええこと言うな~」とか思ってました。
その後実家を出て20代前半くらいになると、
ときどき目にする相田みつをの言葉が、
嫌いで嫌いでしかたがなくなりました。
そういえば彼女とデート先で相田みつをの
展示会みたいな催しがあって入ることになり、
そこで客のおっさんの一人が
「しあわせはいつも自分の心が決める」
という紙を声に出して読んでたんですよね。
こんな静かなところで音読するかねと(゚o゚;;
そのおっさんが「ほんと、幸せってそうだ
よなぁ」とかブツブツ言ってるのを横目で
みながら、
「こんなしょうもない言葉にありがたがる
ようなおっさんにだけはなるまい」
などと思っておりました<(_ _)>
10代「みつを大好き!」、
20代前半~「クソくっだらねぇ」、
その後はもう相田みつをなんて意識にすら
なかったのですが、先日の断捨離中に
ひょっと出てきた相田みつをのカードに、
こう書いてあったのです。
そのうちそのうち
べんかいしながら
日がくれる
・・・え?と思って、もう一回読み直しました。
そのうちそのうち
べんかいしながら
日がくれる
・・・いや~鬼ひさびさに相田みつをの
言葉にふれましたが、この言葉には
ズキューンと来ましたね(笑)
というかこの言葉に何も感じない人って
いるんだろうか。
私の場合は減らしても減らしてもやりたい
こと・やるべきことがありすぎて、
でも優先順位がありますから、どうしても
「そのうち」やろうというタスクが
常に無くなることがないわけです。
ただ「そのうちやろう」で放置して何ヶ月、
場合によっては何年もたっている
項目もあったりします。
そもそもこのカードを見つけた家の
大断捨離自体、「そのうちやろう」で何年
もたってしまっていたことをようやく実践
したものでしたから。
この言葉には心当たりがありすぎて、
スーパー超久々に相田みつをの言葉が
身にしみました(つД<)・゚。
他にどんな言葉があったかもう全然記憶が
ないのですが、この「そのうちそのうち~」
のカードが一枚だけ残ってたということは、
このカードを手に入れた(誰かにもらった?)
当時も、きっとこの言葉だけは刺さっていた
のだと思われます。
ピークで嫌いだったときは、
「そのままのキミでいいんだよ」的な言葉や
「それでどうなるわけ?」とツッコミたく
なる言葉の数々を見るだけで気分が悪かった
のですがm(_ _)mm、
今回見つかったカードを見て、
「もしかすると今見たら、一周して
何か気づきがあるかもしれない」と思い、
あまり期待せずアマゾンではじめて本を
注文(まだ届いてないけど。何か気づい
たらまたシェアします)。
昨日の脳のメカニズムの話ではありませんが、
相田みつをの言葉も日常的に見るより
「しばらく間を置いてから触れる」
くらいがちょうどいいのかもしれません。。
まあ私の好き嫌いはともかく、生きている
と必然的に「そのうちいつかやろう」として
「べんかいしながら日がくれる」
ことは本当に少なくありませんからね。
もっと言うと「日が暮れる」どころか
「べんかいしながら人生が終わる」
なんてことも、油断してたらごくごく
普通にありうるということが
年齢とともにハッキリわかってきたので(おそっ)
そういった状況を少しでも減らす工夫や挑戦は、
今後もずっとやって行かないといけないなと、
思わぬ角度から改めて気づかされたという話。
それではまた。
P.S
余談ですが、最近の幸福学やポジティブ心理学、
あるいは
数十年に及ぶ世界的な「幸せ」に
関する大規模調査などで
人間が幸福になるにはいくつかの条件
(健康、人間関係、収入、仕事など)を
満たしている必要があることが
判明しています。
つまり、どんな価値観の生き方をするにしても
最低限満たされていないと幸福度が低くなる
要素が複数存在していることがわかっているのです。
それは自分の心の解釈レベルで決められる
ようなものではありませんので、以上の
学術的な調査研究の結果を踏まえるなら、
「しあわせは自分の心が決める」
という言葉は何の根本的な解決にもならず、
一時的な気休め、もしくは上記の幸せの
条件を満たすことができなかった人が
そんな自分を肯定するための癒しとして
受け取るための言葉にすぎない、
と言うのが私の考えです。
(例:病気・貧乏でも不幸ではないと
解釈で思わないようにすることは可能ですが、
健康で一定以上お金がある方がより幸福度が
高いのは言うまでもありませんし調査でも
それが判明しています。
そういった物理的に満たす必要があることが判明している幸せの条件を
「自分のこころ」の解釈だけでどうにか
できるものではない、やろうとしても
限度があるということ。
それを「いつもじぶんのこころがきめる」って言い切るのはどうなんと。
私は20代前半の頃に上記の学術的な調査研究の
存在は知りませんでしたが、当時この言葉から
感じていたうさん臭さ・綺麗ごと言ってる感・
薄っぺらい印象、「一見深いこと言ってる
みたいで実は何の意味もないようなことしか
言ってねーだろこれ」感は当たっていたな
というのが今の正直な感想ですm(_ _)m
ファンの方にブチ切れられそうな意見ですが
以上が私の見解。
「しあわせは ときに じぶんのこころがきめる」
ならかなり納得したんだけどなぁ(。´Д⊂)