- 2013-7-24
- その他・雑談, 元アメブロ記事(13年2月~14年5月、修正中)
こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
先日の記事で、受験は地味でめんどくさいけど、実はそれが最終的に素晴らしいものをあなたにもたらしてくれますよ、という話をしました。
<参考記事>
つらい受験がワクワクに変わる思考術
今回はその続編。受験勉強をもう少し広い視点で考えてみます。
受験時代の真っ最中というのは、まるで今自分は人生の最底辺にいるかのような気がすることがあります。
何せまだ合格していないということは、現時点で自分は何者でもないわけですからね。
いわば今現在の自分の肩書きに、新たな肩書きを得るために受験勉強をしているわけですから、受験生は多くの場合、まだ何者でもない場合がほとんどです。
少なくとも、自分の中では早く合格して、早く人生の次のステージに進みたくてしかたがないものです。で、こういうときというのは、
「自分は今、この人生の一番底にいる。ああ、世の中にはこんなに楽しそうに遊んでいる人がいっぱいいるのに、なぜ自分だけ・・・・」
みたいな気持ちにもなる人も少なくないと思います。とくに、これからの夏のシーズンはよりそういう気持ちになるでしょう。
夏に巷(ちまた)で流れるTUBEのさわやかな歌声すら、嫌味に聞こえるかもしれません(笑)。私の浪人時代がそうでした。
もう琵琶湖で泳いだり、ビーチでキャッキャキャッキャと騒いでる人を見ると殺意すらわくのです(-_-)。あいつらあんなに楽しそうなのに、俺は大事な青春時代に何をやってんだと。
しかし、それは日本という、世界でごく一部の地域の、ごく一部の今を楽しんでいる人を見ているからそう思うわけですが、
そもそも違う状況の人からすれば、日本の受験生ほどうらやましい環境で生きている人もいないわけです。
あなたのように自分の夢に向かって毎日努力できる環境で生きられたらどんなに幸せか・・・・そう思う人が、おそらく世界には数億人はいます。
暗い話で恐縮ですが、たとえば世界には毎年100万人の自殺者がいるわけです。
つまり、毎日3000人もの人がこの同じ地球上のどこかで自ら命を絶っているのです。1時間に100人以上。お昼休みの楽しい1時間にも、同じこの地球で100人以上が命を絶っているという現実。昨日も、今日も、明日も、明後日も。。
さらに、その人たちが自ら命を絶つまでには、一定以上の期間、相当な悩みをかかえて生きていらっしゃるわけです。
つまり、いつ命を絶ってもおかしくないような、自殺予備軍のような大変な状況の人が、100万人の数十倍は常にいるということ。
また、これだけ交通規則が守られている日本でも、交通事故で亡くなる人が毎年7000人以上いるわけです。世界中でいったい何人になるのか想像つかないです(調べたらすぐにわかるでしょうが、間違いなく何十万人になるはず)
いま現在飢餓にある人は、10億人です。つまり7人に1人が、食べられずに亡くなっています。ありふれた話だと思わず、一度リアルに真剣に想像してみてほしいのです。
シリアのように内戦で政治がまともに機能しておらず、いつ銃撃があるかわからない国で生きている人たちもいます。
こういった「自分の命の危険」と毎日切実に向き合わざるをえない環境にいる人たちの目には、
日本という「世界で一番好きな国ランキング」の1位の国で、体も健康で、毎日そこそこ以上においしいものを食べながら、自分の夢に向かって勉強できる受験生の姿は、一体どのように映るのでしょうか。
もしも、あなたが今五体満足で、体も健康で、毎日ある程度おいしいものを食べることができて、家族もあなたの受験を応援してくれているなら、
おそらく、世界トップクラスで恵まれた環境にいるのではないでしょうか。そう言っても決して大げさではないと思うのです。
この日本であっても、生まれるのがわずか70年早かっただけで、自分の夢に向かって受験勉強をするためにイスに座っているのではなく
死ぬことがわかっていながら、帰りの燃料も積まずに、敵の空母に向かって行く飛行機の中で、イスに座っていたかもしれないのです。女性ならそれを「志願」した愛する人を、見送る立場だったかもしれないのです。
そう考えると、デフレとはいえ世界で最初に「高度成長の次のステージ」まで行った豊かな国で、とくに大きな個人的問題をかかえずに、
純粋に自分の夢に向かって進むことができる環境で生活できるというのは、ものすごいことなのではないでしょうか。
逆に、それ以上の幸せが、ほかにどこにあるのだろうとすら思えてきます。
受験勉強はとても大変です。でも、自分の大変な「現実」に意識が向かってしまうと、ときに自分の状況を客観視する視点が無くなりがちです。
しかし、そういった「現実」というのは、結局は自分が作り出した「解釈」のことにすぎません。あなたにとっての「現実」は、あなたが認識した「解釈」が作り出します。
ときには今回のような空間的・時間的に少し広めの俯瞰(ふかん)の視点で自分の状況を解釈し、
実は大いに恵まれている現実の部分にも、思いを巡らせてほしいと思うのです。