- 2015-7-5
- おすすめ記事, 受験の意味を考える, 受験を突破するマインドセット
こんにちは、中西です。
受験生が一度は考える「なぜ受験勉強をするのか?」という根源的なテーマについては、実にさまざまな考え方が存在しています。
大学受験生が「受験生活&大学生活をどう活かしていくか」という実利的な部分の話は、「大学生活パーフェクト攻略法」という音声教材で語りましたし、メルマガ・ブログでも何度となくお話してきました。
あなたがどういう目的で受験をするにしても、一つハッキリしているのは、「自分自身の人生をより良くするため」に受験しているということでしょう。
この「より良くする」という意味には複数の解釈があると思いますが、その大きな要素の1つが、「新しい自分に出会う」ということです。
われわれ人間は“変化”を非常に恐れる生き物ですが、同時に変化を非常に望んでいる生き物でもあります。
そう考えると受験そのものの目的が、突き詰めると「新しい自分に出会いたい」という欲求につながっているのが自然ですし、むしろそこにつながっていないとフラストレーションがたまるはずです。あるいは「何か不自然な受験をしている感」「やらされている感」がただよう受験になるでしょう。
有名なマズローの欲求五段階説の頂点にも「自己実現の欲求」というのがありますが、これもとどのつまりは「新しい自分に出会いたい」という欲求です。
それくらい「新しい自分に出会いたい」という欲求は根源的なわけですが、この「新しい自分」のこと、つまり現時点からいうと「まだ見ぬ自分」のことを、
【 未見の我 】
といいます。
あまり一般的には広まっていない言葉なので、初めて聞いた人も多いかもしれません。私がこの言葉を最初に聞いたのは、浪人時代の秋山仁先生(数学者。ロン毛でバンダナ巻いてるテレビでもおなじみの方)の講演でした。
講演の内容はもうほとんど覚えていないのですが、この「未見の我」だけは強烈に印象に残っていて、講演を聞いたその日帰宅してすぐA4の白い紙にこの言葉をドーンと書いて、部屋に貼った記憶があります。そのとき母親に「なんやこの紙?どういう意味?」と聞かれましたが当時めっちゃイキっていたので「フフ。こんな言葉も知らないのかね。まだまだ青いね」ぐらいの勢いでまともに答えませんでした<(_ _)>
受験の目的はいろいろあっても、最終的に「未見の我」、つまりまだ見ぬ自分に出会えるからこそ、大変でもやる意義があるわけです。そんなまだ見ぬ新しい自分には、合格すればもちろん出会えますし、それまでのプロセスにおいても、どんどん「未見の我」に出会いながら、成長している自分自身に驚きながら、受験勉強を進めて行ってほしいと思うのです。
私がOCPをなんとか気合で開発できたのも、これを利用する人が受験勉強のプロセスにおいて「未見の我」に出会えるという素晴らしい経験をしてもらえる確信があったからです。
どういう形でもいいので、せっかく受験という大きなチャレンジをするのですから、そのプロセスにおいてもどんどん「未見の我」に出会ってほしいと思うわけでございます。
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最後に、この「未見の我」というテーマに関して、私が個人的に本当に素晴らしいと感じている“隠れた名文”をご紹介します。
この「未見の我」という言葉のもともとの出典を調べていくと、80年くらい前の安積得也の詩集「一人のために」の最後に書かれていた詩に行き着きます。
このラストの詩が、時代を全く感じさせないあまりにも素晴らしい詩なのです。
とくに10代の中高生・受験生・大学生・新社会人ぐらいまでの年代の人にとっては、これほどまでに心を熱くさせられる詩も存在しないのではないかと思えるほどの“名作中の名作”だと個人的に思います。もちろん、大人の皆さまにもぜひご覧いただきたいです。
ただこれほどの名作にも関わらず、ネットでもほとんど誰も紹介していません。唯一こちらのブログ
▼PDF写本工房
http://white-cup.cocolog-nifty.com/script/2005/12/post-9b9f.html
の10年前の記事で丁寧に全文が紹介されていただけでした。
上の記事よりこの名作中の名作を最後にご紹介させて頂き、今回の話を締めたいと思います。
正直言いまして、私自身はこれほど素晴らしいと思える詩は見たことがないです。
ではどうぞ。姿勢を正してお読み下さいませ。読み進むにつれて内容が盛り上がって行きますの。ぜひ最後まで読んでみて下さい。
未見の我
一、人間餞饉
(前略)
全世界が叫んでいる
人物が足りないと
若い時代に
人(ひと)の数(かず)徒らに多くして
人材資源の払底だ
人間の餞饉だ
それは当然だ
未見の我の昏々として居眠る限り
未見の我の未見のままに死にゆく限り
痛ましい人間飢饉が
永久に人の世を暗くする
見よ
見直せ
太陽が新しく昇って来る
万物は流転(るてん)し
古い価値は古靴と共に棄てられる
今
今
未見の我の若い主人公よ
お前の未見の我を
なぜもっといたわらないのだ
天から授かった秘蔵っ子を
なぜいつまでも眠らせておくのだ
世界が待っている
人間餞饉の世界中が待ち焦れているよ
お前の未見の我の成長を
お前の威勢のいい登場を
二、未見の我
昼なお暗き大森林の
何千億の樫の葉から
一番よく似た二枚を採って較べて見る
不思議だ
一枚だって同じものはないのだから
植物学者の語る事実が
鋭い暗示を
人間個性の問題に投げかける
人皆(ひとみな)の声が違うように
人皆の可能性が
おのがじしなる持ち味を蔵している
愕(おどろ)くべき真理だ
お互一人一人が
夫々に天下一品の特質を
おおいなるものから授かっているとは
人みな英雄!
そうだ
内に隠れて見えないけれども
現在(いま)こそ内に眠り底に潜んで
自分にも他人にも発見(わか)らないけれども
五尺の我のうちにこそ
未見の我の偉大な姿が隠れているのだ
ありがたや
自分の中(なか)には自分の知らない自分がある
強くして能あり
清くして正大なり
現在の我とは比較にもならぬ
未来相の我だ
私はもう私を見くびらない
弱小の私
無能の私
あやまち多い私
しかし私は未見の我の故に
私の全身全霊を愛惜する
彼はつまらぬ奴だ
馬鹿なまねをしやがった
しかし私は彼を見棄てない
彼の内なる未見の彼を
私は限りなく尊重する
三、神秘の 扉
筏(いかだ)を操りながら
ミシシッピーを南に下る
青年エブラハム・リンカーン
彼さえも彼の未見の我に
容易には気づかなかった
汽車中の新聞売子
少年トマス・エジソン
このみすぼらしい少年の中に
誰か文明の恩人を想像したろう
一高を受けて落第した沢正(さわしょう)
その落第の彼方(かなた)に
未見の沢正が約束された
眼を無名の青年に転じよう
菜種の研究に
農村を生甲斐の天地とした村山勇
マスカット・ハンブルグの
露地栽培を大成した石原泰
害虫研究の大石俊雄
ヘッドライトの羽田正勝
讃えよ
一人(いちにん)一研究(けんきゅう)の小英雄
誰も誰も自分の肩に
天与の宿題を持っている
一題解けばまた一題
一山越ゆればさらに一山
より高い未見の我へと
集中と継続の大道を
どっしどっしと登ってゆく
私はだめだと弁解しながら
逃避(にげ)てばかりいる卑怯者(ひきょうもの)よ
力量を断じ本性を透視すべく
科学の認識は余りにも貧しく
人間の全貌は神秘多し
俺はこれだけの人間だと
簡単に片づけてしまう前に
友よ
未見の我の殿堂に詣り
神秘の扉を叩きに叩こうよ
四、全A 全B
私は生物学と心理学を無視しない
私は遺伝学と進化論をけなさない
生まれながらの未見我(みけんが)が
万人平等でないことを
私は正直に肯定する
だから私は
万人が大将になることを望まない
クラス中が一番になることを祈らない
AはAでよく
BはBでよし
ただ願わくは
Aは全Aであれ Bは全Bであれ
悲しいかな全Aであり得たAがあるか
みんな中途半端の分数で死んだのだ
そして悟り顔にも
私はこれだけとあきらめたのだ
未見の我の安っぽい評価よ
造化に対する冒涜(ぼうとく)でなくて何だ
心理学よ来い
お前の未熟なメンタルテストで
未見の我の不思議が解るか
唯物論よ来い
お前の単純な公式だけで
未見の人生を割り切るつもりか
きょうだいよ
天に享くる未見の姿の前に
みんながさらに謙遜であろうよ
五、可能性を惜しむ
世界中の若々しい未見の我よ
静かにお互の天地を見廻わそうよ
不安におののく
しめっぽい生活
あるはまた荒々しくざわめいて
花のない生活
利己主義と利己主義とが
血みどろにいがみあっている諸々の光景
さあ眼をさませ未見の我
計り知れぬ生長の自由を
汲めども尽きぬ働きの自由を
自ら作った小さい捕縄(ほじょう)でいわえつけてしまうのは
罪深い自縄自縛(しじょうじばく)だ
去れよ精神的狭心症
握りつぶせ未見の我の不信任案
授かった可能性の一割も出さずに
死んでゆくのが惜しいのだ
功名富貴惜しからず
成敗利鈍惜しからず
ただ私は
私の隠れたる可能性を惜しむ
いざや
良き旅に上らん
未見の我の姿を求めて
六、戦 闘
私の中にいやな奴がたくさんいる
豚がいるよ
貪婪(どんらん)の鼻を鳴らして
本能のままに動いているよ
兎がいるよ
すぐいい気になってしまう兎が
怠慢の眠りをむさぼっているよ
狼がいるよ
エゴイズムの狼が
臭いにおいを出しているよ
羊がいるよ
愚かな浅はかな羊が
ほんとうに認識不足だよ
猫がいるよ
一匹も鼠を取らないで
ひなたぼっこの安易道を歩いているよ
犬がいるよ
怒りっぽい犬が
すぐ浅薄にかみつくよ
孔雀がいるよ
虚栄の孔雀が
名と富と位ばかりほしがっているよ
鹿がいるよ
あっちこっちに気を配り
逃げることばかり考えているよ
あきましい私の中の動物よ
私はお前に機関銃を向ける
勇気で包んだ金剛の意志が
お前の胸板に弾丸を射ち込む
強いぞ内心の要求
意志! 意志! 意志!
きあ来い
もろもろの誘惑
お前は眼前のろうそく
未見の我は
悠久の太陽
七、境遇を活かす
俺はほやほやの人間だ
俺は何を頼みにしている
眼も絢爛(あや)なる着物よりも
裸で生きられる健康がたのもしいよ
いつも手にある雨傘よりも
降ったら駈け出せる脚がたのもしいよ
俺は貧乏で中学にも行けない
よし俺は
自分で自分を教育するのだ
学問と学校とは別物だ
学校に証書の紙だけをもらいに行った
高等失業者もいれば
工場に通いながら
学問をやり通したマグドーナルドもいる
蝶よ花よと育てられ
いいものずくめで身を包まれて
何一つ苦労を知らぬお坊ちゃんは
未見の我から見離された不孝者だ
幸福は時に不幸であり
不幸は概ね幸福の母だ
みせかけの幸福よ 外側(そとがわ)の不幸よ
すべて閑人の閑葛藤(かんかっとう)にまかせておけ
境遇よ
お前が何であろうと
お前は私の親友
俺は微笑を含んでお前を受取り
ウムと両脚(りょうあし)を踏んばって
境遇の心臓に活を入れる
俺はほやほやの人間
身に降りかかる一切の境遇を
活かして生きた勇者たちと
肝胆(かんたん)相共に照すのだ
八、仕事を楽しむ
内に秘む貴さが
仕事を通して現われる
仕事がうれしい
私は歯を喰いしばって努力しない
笑って努力する
私にも合唱させてくれ
「足びきの山の草木を友として
働きながら遊びけるかな」
私は喜んでどろにまみれ
天地を友として肥たごをかつぐ
肥たごをかつぎほれるよ
田の草を採りほれるよ
桑の葉を摘みほれるよ
試験管を眺めほれるよ
文章を書きほれるよ
聖賢の書を読みほれるよ
もう私は肩書を拝まない
紙幣束(さつたば)を拝まない
洋服を拝まない
価値観念の革命が来たのだ
衣服はぼろでも
私の心はゆたかだよ
身も魂も打ちこんで
仕事を楽しむ心
専念一慮の妙境
これはこのままに
天地の大みこころに通貫する
仕事に惚れて
未見の我を生み出そうよ
九、一人一特色
未見の我の可能性は
万能の代名詞ではなかった
万能でない人間が
万事を成就せんとすることは
万事に失敗することだ
未見の我の創造は
焦躁(しょうそう)を嫌(きら)い
中途半端を戒しめる
一時に六つの窓から出ようとした
一猿六窓の愚(ぐ)を学ぶより
青春の企てから或る一つを撰(えら)びとり
能力を一事に集中しようよ
その択びとった道において
一人一特色を発揮しようよ
貴いかなや未見の我に輝く
持ち味の輝き
一〇、未見巡礼
一切相関(そうかん)の人の世に
一切完成の彼岸を眼ざして
我も人も
神秘なる未見の我を礼拝する
私の中に
未見の我を確信する
あなたの奥に
未見のあなたを信頼する
日本の本然に
未見の日本を待望する
世界の明日(みょうにち)に
未見の人類を凝視する
未見の姿は
祖先たちが部分的に持っていたものを
束(たば)として持つのみかは
それ以上の一切を持つ
今日までの地上に現われた
もろもろの聖賢偉人達
卿等(けいら)も亦
すべて未見なるものに帽子をとれ
限りなく広し未見の地
限りなく高し未見の天
新しい太陽の下(した)を
朗(ほが)らかに歩む吾等はらから
エゴイズムの荷物だけで
この肩を疲らすのは惜しい
どうせかつぐなら
どんな小さい荷物でもいいから
同類全体の問題を
心の肩にかついでゆこう
骨を惜しむまい
行当りばったりの生活をすまい
未見なるものの創造は
あだおろそかな事業ではないのだから
さあみんな一緒だ
未見の我の開拓ヘ
道の国日本の建設へ
元気に進軍だ
すべての人間様と
汗を分ち
笑を分ち
涙を分ちながら
生活の旅行だ
神と共に歩み
生命(せいめい)の水を汲みつつ
前途はてしなき愉悦の旅行
我等は未見への開拓者だ
(一九三二年一月 安積得也)
▼本日7/5(日)24時募集終了。「100円で1ヶ月参加できる!OCPお試しモニター生」