- 2015-5-15
- おすすめ記事, その他・雑談, 志望校・進路の決め方
こんにちは、中西です。
ここ最近、
「キッチンタイマー」
のネタとか、
「千葉真一さんの愛人騒動」
に関するネタとか
なんだか軽めのネタが続いているので
今日は重厚なテーマで
マジメモードで行きます。
このブログの目標として
「品性と知性が行間からあふれんばかりのブログ」
「PTAが選ぶ『寝る前に子供に読ませたいブログ』ランキング1位」
「死ぬ前にもう一度読みたい勉強ブログランキング1位」
「朗読CDにしてほしい勉強ブログランキング1位」
「実写映画化してほしい勉強ブログランキング1位」
を目指しているので、たまには
重厚なテーマでいかねばなりませぬ。
じゃあ今日も元気に行くぜみんな!オレについてこい!
・・4年やってるのにキャラが定まっていない
自分を責めずに、本題。
勉強というのは何のために
しているのかというと、
究極的には自分が「幸福」になるため
・・・ではないでしょうか。
不幸になるために勉強する人はいないでしょう。
いずれにしろ「幸福」というものに
興味の無い人はいないと思いますが、
じゃあ「幸福とは何か?」という話になると、
宗教チックになるとか云々以前に、
そう簡単に答えられるものではないですし、
人それぞれの幸福があるわけです。
が、「人それぞれの幸福」があると同時に、
「誰にでも共通する幸福」
というものがあるのです。
実は心理学的なアプローチでは、この
「誰にでも共通する幸福」
にはある程度答えが出ています。
それを知っておくだけでも、
自分の将来やキャリアの方向性を
決めるときの判断基準の1つとして
とても有効です。
これについては多くの心理学者が
同意しているエドワード・デシと
リチャード・ライアンという人の
「自己決定理論」
という理論が非常に参考になります。
この理論では、人間の基本的欲求を
「関係性」
「有能感」
「自律性」
の3つと定義しているのですが、
ポイントだけ書きますと
——————————————-
「関係性」
——————————————-
他者と深く結びつき、互いに
尊重しあう関係を築きたいという欲求。
生涯を通じた友情や親密な関係。
人と出会う、絆を深める、社会に貢献するなどの行為は、
関係性の欲求を満たす。
——————————————-
「有能感」
——————————————-
周囲への影響力を持つこと。
それによって何かを得ること。
知性をはじめ何かに優れていることや、
得意分野があることは有能感を満たす。
また、技能を磨き、新しいことを学び、
人間として成長することなども有能感を満たす。
——————————————-
「自律性」
——————————————-
自由への欲求。自らの行動を自ら選び、
主体的に対象と関わること。
他者からの強制ではなく、自発的な興味から
行動する際の動機付けである
「内発的動機付け」によって行動すること。
——————————————-
(参考「やってのける」(ハイディ・グラント・ハルバーソン著、大和書房))
いわゆる「成功」というものとは別に、
“永続的な幸福感”
をもたらすのが、この
「関係性」「有能感」「自律性」
を満たす目標というわけです。
“幸福感”
というのは、「達成感」とも
「一瞬の快感」とも違いますからね。
逆に
「有名になる」
「権力を手に入れる」
「自分を飾りたてる」
などはこの基本的欲求を満たしてくれません。
よって最終的な幸福感にはつながりにくい
(というかほぼつながらない)わけです。
よくある失敗は
「お金を手に入れること自体を目指す」
「他人の評価や自分以外の他者の物差しにしたがう」
などで、これも上の3つの欲求を
満たしてくれないので、
それを手に入れるだけでは
本当の幸福感は得られないというわけです。
まあ「有名でお金もある」はずの
著名人や芸能人が、
必ずしも全員幸せとは
限らなそうだというのは、
メディアやニュースを通して
誰でも感じることだと思います。
個人的に面白いと思ったのは、
この自己決定理論を主張した
デシとライアンは、
人が「名声・お金・権力」などの
表面的な目標を追い求め、
そういう外部の基準によって
自尊心を高めようとするのは、上の
【 3つ(関係性、有能感、自律性)の
基本的欲求が満たされないとき 】
だと主張している点。
つまり孤独だったり、自分の得意分野が
見つからなかったり、
才能を磨いて成長する喜びが得られなかったり、
他者からいろいろと制約・強制される
不自由な状況にいたりする人ほど、
「金持ちになってやる!」
とか
「有名になってやる!」
的な目標で自尊心や孤独を満たそうとする、
ということなのです。
これがいわゆる反骨精神という
やつかもしれませんが、
その反骨精神でお金も名声も手に入れたのに、
結局幸せになれない
・・・というオチになる人が
いるのは皮肉としか言いようがないです。
お金も大事に違いありませんが、
自分の幸せを考えるときに
“誰にでも共通する幸福感”
につながる
「関係性」「有能感」「自律性」
を満たす方向に自分が
向かっているかどうかも、
しっかりチェックして
おいたほうが良さそうですね。
P.S Final
幸福論というのは古今東西多くの人が、
というか人類のほとんどすべての人が
それを求め、哲学してきたわけですが、
まあ答えなんて自分で決めるしかないですね。
「幸せとは自分の心が決める」
「幸せとは感じるもの」
「幸せなんてものは存在しない」
「成功ではなく成幸を求めよう」
「人の幸せが自分の幸せになる」
「幸せはお金では買えない」
「幸せはお金で買える」
「いずれ全員必ず死ぬから
幸せを求めても仕方が無い」
・・・・なんて言葉をいくら聞いても、
しょせんは他人の言葉。
自分で自分の正解を見つけていくしかない。
という話をそういえば最近ある人にしました。
畢竟、人間の脳の解釈なのかもしれません。
ビッグバンで宇宙がはじまって以来、
この137億年において、実はただの一度も
「過去」も「未来」も存在したことなどなく、
ただただ、延々と続く「今」が
137億年間もの間、ずっと続いてきただけ。
われわれが過去だ未来だと思っているのは
人間の脳が作っているものにすぎない。
あるのは、ただひたすら「今」のみ。
昔私の師匠の経営者が座右の銘のようなものとして
「人生の目的は、成功することでも
幸せになることでもなく、没頭すること」と
と書いていたが、結局今この瞬間を
一生懸命に生きることが一番大事なのかもしれない。
先日この欄で認知症の話をしましたが、
では認知症になってすべてを忘れてしまうのなら
それまでたとえどんなに幸福だったとしても
その幸福は無意味だったことになるのか。
それでもやはり意味はあったのか。
すべての記憶を失ってもなお意味はあったといえるなら、
その根拠は何なのか。
・・・ほらね、このテーマはちょっと突き詰めただけで
すぐディープな世界に行っちゃうのです(笑)
何も考えないのが、一番幸せなのかもヽ(´∀`*)ノ