- 2011-4-5
- 受験の意味を考える, 大学生活について考える
こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
前回の続きです。ここ数日、ちょっと突っ込んだ話をしております。
<これまでの記事>
なぜ、受験生は「いい大学」を目指すべきなのか?
偏差値・知名度のより高い大学を目指した方がいい理由
まだご覧になってない方は、上記から先にお読みください。
前回は、
「なぜ『いい大学』へ行った方がいいのか?」
という、受験勉強をする上での根本的な問題について、私の考える理由の1つをお話しました。
私の予想に反して、ふだんよりたくさんのご感想メッセージ・メールを頂きました。ありがとうございます。
すべての方にご返答できないのが心苦しいですが、いただいた感想等をふまえて少し補足させていただきます。
もともとこのテーマは、私が高校時代に激しく疑問に思っていた
「なぜ『いい大学』へ行った方がいいのか?」
という問いについて、学校の先生も塾の先生も、カリスマと言われる人気講師も、進路指導の担当者も、予備校のチューターさんも、
ものの見事に、誰一人として答えてくれる人がいない状況があり、当時只ならぬフラストレーションが貯まっていた、という経験が根本にあります。
で、そんなことをイチイチ考えなくても、先生や親から言われるまま素直に受験勉強できる人が大半ですし、そういう人は全くそれでいいと思っているのですが(なぜなら、それでも結果的にはほとんどの場合うまく行くから)
そこに対しての疑問が拭えない人が少数派として存在しているのは事実です。
だから、そんな過去の自分のようにその部分で悩んで立ち止まっている人に、私なりに出ている結論をお伝えしておこうと思った次第。
またそれを知ることは、これまでそんなことを疑問に思ったことがなかった人にも、無駄になる情報ではないだろう、と考えたからです。
これを記事にするに際して非常に悩んだのが、ブログの記事で1日1回ずつ、何回かに分けて配信するとちゃんと伝わらないために誤解を生む可能性が高いだろうという点。
この内容は、ふだんこのブログで扱うことが多い「受験・集中力アップのテクニック」系の内容ではなく、けっこう深いテーマですので、
「一気に読む」という形でないと、ピンとこなかったり、いまいち納得してもらえなくなる可能性が高いと思ったのです。
このあたり、ブログというメディアの難しいところですね。長文を書くには向いていないんです。
数回にわけて記事にすると、途中から来た人は、その途中の記事から読まれることも多いです。
で、最初から読めばわかることでも、途中からの記事だけ読んで誤解されることもごく稀ですがあります。
そんなわけで、少し話がそれましたが、今回のテーマにおける前回の回答は
「学生の意識が高い」
ということでした。もう少し厳密に言うと、
「大学の偏差値・知名度に比例して、意識の高い学生がいる割合が高くなる」
ということ。
そして、なぜそれが大事かというと、人間はどんなに意志が強いようでも、どうしても周りに影響される生き物で、
友人や先輩後輩たちから受ける刺激が、人生に決定的といっていいレベルで影響を及ぼすため、
「どういう環境に自分の身を置くか」
ということには、人生の最優先課題くらいに考える必要があるということ。そしてその意味においては、「偏差値・知名度の高い大学」ほど「意識の高い学生」が多い傾向があるから、それを目指す価値がある、
ということでした。
具体的な例として、前回は私が学生時代に周りにいた友人知人の例を思いついたまま挙げましたが、
あれはあくまで一例であり、それだけを根拠に「偏差値・知名度の高い大学は『意識の高い学生』が多い」と判断したわけではありません。
もちろん、自分の大学自慢をしたかったわけでも当然なく、身近な具体例を出したほうが伝わるかと思った次第。
前回は書きませんでしたが、他にもたとえば
▼ある仕事で各地の大学を数十校周った際、そこで見た見事なまでの大学による雰囲気・学生の意識の違い。
そして、そこにいる学生たち自身は、その各大学の色に染まっていること自体を、自分では気づいていなかった点。
▼MBAなど海外留学をした人たちの多くが、そこで学んだ内容そのものより、そこで得た友人という人脈や友人から受けた刺激の方が財産だったと言っている点。
▼過去の歴史や企業などを見ても、意識レベルの高い集団は一カ所に集まる傾向がある点。また偉人・天才といわれる人たちが友人同士であることが多い点(有名どころでは松下村塾、信長・秀吉・家康の関係、トキワ荘などなど)
・・・そんな感じで、決して私の友人の事例だけで言ってるのではなく、これまで経験・見聞きしてきたものを総合的に判断して、確信をもって
「偏差値・知名度に比例して『意識の高い』学生が多くなる」
「どういう環境に自分の身を置くかを、最優先課題にしたほうがいい」
と回答させていただいたんですね。もちろん、例外的な大学・学部があるのは前回書いたとおりですし、人によって置かれている環境が違うので、この基準で大学を選ばない人がいるのも当然。
ただ、一般的な話として一番基準になっている、「偏差値・知名度の高い大学を目指すべき」という物差しにたいして、
「なぜそうなのか?」
「それにどんなメリットがあるのか?」
という本来一番大事なはずで、一番最初にその理由を生徒に伝えなければいけない点について、あまりにも誰も語らないから、私なりに出した結論をお答えさせていただいたのです。そういえば昨日のコメントにも、
「正に今自分が悩んでいた問題でした。以前こんなことを先生に聞いたら
『そんな哲学っぽいこと聞いて何かいいことあるの?』
と言われ、求めていた答えを聞けず1年以上悶々としていたんです」
といったご感想がありました。この先生の回答は、あきらかにこれまでそんなことを考えたことがなくて答えに窮してそう言ったように思われるのですが。。こんな回答が一般的な先生の回答だとしたら悲しすぎます。
私なんかよりもっと納得できる回答をお持ちの先生もいるかもしれませんので、よかったらあなたも先生に聞いてみてください(ただ嫌がられても責任持てませんので自己責任で(笑))
あと、他の感想の中で、こんな方がいました。個人情報にふれる部分は省いて引用しますと、
「私は『家から通える範囲で』という親が決めたルールに屈してしまいました。
無目的無意味な日々と、何に対してもモチベーションも意識も低い人たち。影響を受けないほうが無理で・・・(中略)
自分にも嫌気がさして、せめて悪影響を受けないようにと現実逃避が癖になってしまいました」
この方は、すでに大学に入学をされた方のようですが、私が一度入学して経験した大学の環境に似ています。(環境が似ているというか、「感じ方」が似ているということですが)
実際にこういうことがあるわけで、だからこそ上記のようなことを頭に入れておいてほしいと思うのです。
(ちなみにこの引用した方は、別の部分に「大学へ行く意味」を見い出そうとされているとのこと。※Tさん、今回は引用だけで返事になってなくてすいません)
長くなってしまいましたが、前回の補足でした。
次回は、予定では「『いい大学』へ行くことが就職にどの程度影響するか」というテーマで書くつもりでしたが、
やっぱりこの関連テーマは長くなりすぎるので、また別の機会に書こうか検討中。
いちおう、今回の記事のご感想を見て「就職」系の話はそこまで求められてない感じなら、いったんこのテーマは終えて次回は別の話に行こうと思います。
もし今回の記事で何か思うところがあった方は、ご感想をいただけると嬉しいです。
<追記> このテーマについては、2014年3月に音声教材「大学生活パーフェクト攻略法~ヤバイいくらい本音で語る大学論~」で詳しく語りつくしました。