- 2011-4-2
- 受験の意味を考える, 大学入学前の準備, 大学生活について考える
こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
まだまだ震災関連の問題は山積みですが、昨日からいよいよ年度スタートということで、
とくに新高校生、新大学生、新社会人の方は新たな気分で4月を迎えた方も多いと思います。
ちょうどいい機会なので、今回はこれまであまり振れてこなかった
「なぜ勉強をしなければならないか?」
という、受験勉強をする上でかなり根本的なテーマを、年度スタートのこの時期に一度考えてみたいと思います。
このブログは昨年10月から始めましたが、すでにその時期から今年2月頃まで、ずっと受験生のみなさん超せっぱつまっていましたからね。
その時期に今回のような悠長なテーマを考える余裕があった人はいなかったと思います。
その頃は、それはそれはすごい数の相談メッセージやメールを毎日いただきました。
今も日々たくさん頂きますがその時期は異常事態でした。一度「絶対無理!返事100%無理!!」って夜中に叫んだくらい(笑)
ともかく、そんなタイミング、たとえば1月のセンター直前とかに「なぜ勉強すべきか一度考えてみましょう」なんて書いても誰も読みませんからねw
余裕のあるこの時期だから、一度は考えてほしいと思うのです。
そして今回のこのテーマ、ご想像通りかなり奥の深いテーマです。
もし誰かに「このテーマで1冊本を書け」と言われたら書けてしまいますが、今回はもちろん全部は無理なので私が考えるポイントの部分だけお伝えしたいと思います。
「なぜ勉強しなければならないのか?」
は、もっと生々しく(!)言えば、
「なぜ、いい大学に入った方がいいのか?」
ということと、ほぼ同義と言って差し支えないかと思います。
では「いい大学」とは、なんでしょう?
人によってその定義は違うでしょうが、一般的に言って、それは
「(同じ学部であれば)偏差値・知名度のより高い大学」
と言ってしまっていいのではないでしょうか。今回はきれいごとを書く気はないので。。。
たとえば、なんでもいいですが、あなたが仮に「A学部」を目指していたとして、
同じようにそのA学部があるB大学とC大学を目指す場合、
「偏差値も知名度も低いC大学」を「いい大学」ということはあまりないはずです。
もちろん、2つの大学のうち偏差値も知名度も「ちょっとだけ低い」方の大学が、設備や教授や立地など他の条件面で「著しく良かった」場合は、
そっちの方を「いい大学」と判断することはあるでしょう。また、例外的な大学・学部があるのは言うまでもありません
でも一般的に言って、同じ学部なら
「偏差値・知名度の高い方が『いい』大学(学部)」
というふうに大半の人は認識する、と考えて間違いないかと。
で、問題はここからです。
なぜ「偏差値・知名度のより高い大学」に入った方がいいのか?
ってことなのです。
これ、あなたの中でハッキリしてますか?
今までしっかり考えたことはありますか?
誰かに教えてもらったことは?
たぶんNOの人が大半なのではないでしょうか。
私は、中学生や高校生がこのあたりのことをあまり深く考えたことがなかったとしても、それは別に仕方がない気がするし、大きな問題だとも思いません。
が、
はっきり言いまして・・・
はるか昔、私が高校生だった頃の心情を吐露しますと、
生徒の前に毎日立って授業をしている学校や塾の先生が、
皆が皆、そろいもそろって
この話題に「一切ふれない」のは、本当に心底、私はいかがなものなのかと憤りを禁じ得なかったのです。
あなたの身近には「なぜ、いい大学を目指すべきか?」について真摯(しんし)に教えてくれた先生はいますか。
もしいたとしたら、それは奇跡に近い運の良さです。年末ジャンボで言えば、1枚だけ買った宝くじで500万が当たったくらいのレベルです(未成年に不適切ですね。。すいません。。)
ともかく、本当になぜかそのテーマは、どの先生も見事に話さないのです。
私は16歳の時から、この学校空間における「意味不明さ」に、尋常ならざる憤りを感じておりました。
英語の先生は英語を教える
数学の先生は数学を教える
古典の先生は古典を教える・・・・
それは当然だと思うし、教え方のうまい先生や「雑談」が面白い先生もたまにいたけど、
一番大事なことを誰も話してくれない。
なぜ、英語を学ぶのか。
なぜ、数学を学ぶのか。
なぜ、古典を学ぶのか。
そして、なぜ、いい大学へ行かなければならないのか・・・
私は、なぜこんなに根本的で大事なことを、どの先生も一言も話さないのか、不思議で不思議でしょうがありませんでした。
中学・高校を通して、塾も含めて、一体何人の先生に習ったことでしょう。予備校も含めたら、カリスマ講師も含めて何十人の先生に習ったことか。
でも、ついぞ誰一人として、私の素朴な疑問、でも一番大事だと思われる疑問について、答えてくれることはありませんでした。話題としてふれることさえしてくれませんでした。
英語の先生が英語を、数学の先生が数学を、古典の先生は古典を、
教壇に立って毎日何時間も生徒に教える。その授業をフンフンとうなずいてノートに板書しているクラスメイトたちを横目で眺めながら、私は
「これは一体なんだんだ?」
と思っていました。いま思えばかなり病んでた気がしないでもないですが(笑)、至極まっとうな疑問だったと今でも思っています。
だって、
「英語の成績を伸ばせ!どの大学でも配点は高いぞ!」
「偏差値をもっと上げないと、志望校へいけないぞ!」
「去年は京大に○人いったぞ!君たちも頑張れ!」
とか言われても、
「なぜ偏差値の高い大学を目指した方がいいのか?」
「なぜ大学へ行かなければならないのか?」
「就職と大学の具体的なつながりは何なのか?」
といったことを一切考える機会がないまま、ただただ受験においては「手段」でしかない、英語や数学や古典の授業を延々と展開されても、
少なくとも私はそれに取り組む気力が全く生まれませんでした。また、それを考えずに勉強できる人の意味がわかりませんでした
(こんなこと考えてる奴が当然成績も伸びいるはずもなく(笑)、以前書いたとおり当時の成績はうなぎ下がり!)
今ならネットで「ヤフー知恵袋」あたりでサクっと社会人に質問もできるでしょうが、当時そんな便利なものはありませんでしたし。。
今、こうやって当時のことを半分郷愁を感じつつ書けるのは、
もうずいぶん前にこの問題については、自分の中で一通りの回答が出たから。このテーマについては、もう一通りわかってしまったので、なんだか懐かしさを感じつつ書くことができます。
「なぜいい大学に行ったほうがいいのか」
「なぜ勉強をしなければならないのか」
「就職と大学の関係は?」
「『学問の府』である大学で、学問をする意味は?」
といった疑問から、
「なぜ先生たちは誰一人教えてくれなかったのか?」
まで。全部もう、私の中では完全に解決したこと・終わったことなのです。
だから正直、今現在そんなテーマには全く興味がありませんし、
また、年を経るにつれて、当時の学校や塾の先生への感謝の念が芽生えて来ているので、個々の先生を非難する気なども毛頭ないです。
学校の先生も塾の先生も、個々の先生方は職責を全うされていたと思いますし、
そもそも今回のテーマの問題は、個々の先生の問題ではなく、学校・塾・大学・就職という一連の流れにおける、いわば
「教育業界を取り巻くシステム」の問題
の側面が強いと個人的には思っています。
また、実際問題として、そんなめんどくさいことを深く考えなくても、受験勉強をするモチベーションをある程度以上保てる受験生が大半です。
ただ、何かの巡り合わせでこういうブログを書くことになりましたので、
稀(まれ)にいる過去の私みたいな変なタイプの人(笑)に伝えてあげたいのと、
そこまで考えたことをなかった人でも、知っておいた方がいいと思いましたので、今回のテーマを書くことにした次第。
少し話がそれましたが、で、結局
「なぜ、いい大学に行った方がいいのか?」
ということなのですが・・・・
さすがに長くなりすぎるので、次回に続きます(!)
P.S
今回の記事を書き終わって、広げた風呂敷がデカすぎたことに気づきました。。。ヤバい!収集つかなくなるかも。。
長編シリーズにしないで次回あたり強引に終わらせます(笑)
<追記> このテーマについては、2014年3月に音声教材「大学生活パーフェクト攻略法~ヤバイいくらい本音で語る大学論~」で詳しく語りつくしました。