こんにちは、中西です。
前回は、世界の主要8カ国で9000人を対象に行われた調査で、
【 AIが作った曲と人間が作った曲を97%の人が区別できなかった 】
という調査結果をご紹介しました。
調査の参加者は18歳から65歳までの人たちだったので、ほぼ現役の全世代と言っていいと思います。
この聞き分けられなかった97%の人のうち、半数以上の52%がAIで作られた曲を人間の曲と区別できなかったことに、不快感を示したという話もありました。
つまり、人間はもう人間が作った曲とAIが作った曲の区別は全くできない状況になっている一方で、
「AIが作った曲だ」と分かってしまうと不快感を感じてしまうということです。
なんとも矛盾した感情のようにも思えますが、後からそれを言われると騙されたような気持ちになるので、人間心理としてはある意味で当然なのかもしれません。
逆に言うと、事前に「これはAIが作った曲」だと認識できていれば、不快感は減る可能性が出てきます。
だからと言って、AIで作った曲を最初から「AIが作った曲です」として表示していた場合、
聴いている人間側としては、何とも言えない微妙な気持ちになる可能性が高いです。
「何とも言えない」というのは、要は「結局これはAIで作った曲か」という気持ちになり、感動も半減してしまうようなことです。
結局、音楽に限らず、芸術やコンテンツ全てそうかもしれませんが、
「人間が作った」
という前提があるから感動したり関心を示せるという部分があるはず。
だとすれば「人間が作ったものではない」となると、その作品に対する感動が一気に減ってしまうという部分が、相当あるのではないかと思います。
この観点で、私が一番今判断が難しいと感じているのは、
「この作品はAIで作られた作品です」
という表記を入れるかどうか、という問題です。これは良いことなのかどうか。
例えば先ほどの音楽であれば、もうそのような表記を入れる動きも出てきているようですし、出版・小説の業界でもそのような話が出てきていました。
今後は漫画やアニメでも、そういった表記をつけるべきかの議論がどんどん出てくると思います。
あるいは、もう出ているかもしれませんが、問題は「その表記を入れた方が本当にいいのかどうか」という点です。
先ほどお話ししたように、AIで作られたと分かった途端に、人は冷めてしまう傾向があると思います。
少なくとも、AIで作ったことが分かったことで、人間が作った場合より感動するということは、ほぼないはずです。
あるとすれば「AIでここまでできるようになったのか!」という意味での感動であって、作品そのものに対する感動ではないでしょう。
そうなると、作品の作り手側としては、AIで作成したことを表記することは、デメリットしかない可能性が高そうです。
一方で、作品の受け手側からすると、それがAIで作られたのか、人間が作ったのかを、やはり知りたいという気持ちは今後もどうしても出てくることになるでしょう。
そのせめぎ合いの中で、今後どちらが優先されるのかは分かりません。
しかしいずれにしても、これから生まれてくるあらゆるジャンルの作品が
「AIで作られたものなのか」
「人間が作ったものなのか」
を表記して受け手側に伝えるべきかどうか、という議論は、当面は続くように思われます。
また、私がもう一つ思うのは、そもそもこれまでも
「作品の作者として表示される名前と、実際の作り手が違う」
なんていうことは、ざらにあったということです。
よくあるのは、例えば漫画です。
漫画ですと、漫画家さんと出版社の編集者が二人三脚で作っていきます。
世界的大ヒット作のドラゴンボールですら、超優秀な編集者の鳥嶋和彦さんがいなければ、これだけヒットすることは絶対にありませんでした。
そもそもドラゴンボールをカンフーものにすることも、西遊記をパクることも鳥嶋さんのアイデアです。孫悟空は鳥山案では猿の主人公でしたから。
鳥嶋さんは有名なので知っている人も多いですが、多くの漫画作品はそのように作られているにも関わらず、編集者の名前が表に出ることはほとんどありません。
単行本の後ろの方に少し書いてある程度でしょう。
あるいは活字の本でも、ゴーストライターという職業は昔から存在しています。
有名な芸能人などの著名人が書いたことになっていますが、実際は本人が全く書いていないということも珍しくありません。
インタビューしてゴーストライターが代わりに文章を書いてくれるぐらいならまだいい方ですが、それすらなく名前貸しに近い場合もあるようです。
また映画やアニメなどの映像作品でも、コンピューターグラフィックを使って、
実際の映像ではなく「グラフィックで作った映像」を視聴者に見せている映画やアニメや番組など、数えきれないほどあるわけです。
コンピューターグラフィックで作った映像は良くて、AIで作った映像はダメな理由は、私には見当たりません。
音楽も、作詞・作曲をした人の名前がどの曲にも入っていますが、作詞家が下請けのようなライターに発注して作らせて、
自分で最終チェックだけして、自分ではほぼ何も作らずに「自分が作った作品」にしているなんていうことも、わりとあるようです。
有名な超有名漫画のゴルゴ13も、原作者のさいとう・たかをさんは、実際には主人公の顔ぐらいしか描いていなくて、
背景は当然アシスタントで、毎回のストーリーもたくさんの中から募集して選んでいるという話を聞いたことがあります。
サラリーマン金太郎などで有名な本宮ひろ志さんも、分業制でほとんど自分では描いてないようですが、本宮さんの作品となっています。
秋元康さんも、募集して送られてくる膨大な曲(メロディ)の中から1つの曲を選んで、その曲に自分の歌詞を載せて書いているわけです。
つまり、これまで漫画もアニメも映画も小説も含め、ほとんどのコンテンツというものは、
外注さんに依頼したり、コンピューターグラフィックなどの機械を使ったりして作り上げてきたわけで、
その場合でも「その人が作った作品」として世の中には伝わっていました。
こういう「作品が出来上がる構造」を考えた時に、AIを使って作品を作った時だけ「AIで作られたものです」という表記をするというのは、私には少し不自然なように感じられます。
どの部分までAIに作らせたかをいちいち表記するのも、おかしな話のような気もします。
そもそも、誰も見分けがつかなくなっていくので、嘘は簡単につけます。
その表記を入れることを仮に義務付けたとしても、「これは自分で作りました」と嘘をつかれたら、それが嘘かどうか判別することは非常に難しいと思います。
最近では、それを判別するためのAIも作られていくような話があります。
もしかしたらもうあるのかもしれませんが、AIであっても「作品がAIで作られたかどうかを判別する」のは、非常に難しいように思います。
せいぜい「AIで作られた確率70%」みたいな表示にしかならないのではないかと。「これは100%AIで作られた作品」と断定できるとはとても思えません。
仮に本当に自分で作った作品であっても、AIにそういう間違った判定をされてしまったら、これはまた名誉毀損のようなことになってきます。
ということで、もはや人間はAIが作った作品と人間が作った作品の区別が、全てのジャンルでどんどんできなくなってきています。
おそらくAIでその判定をする方向に進んでいく可能性は高いですが、どこまで行っても「断定はできない」レベルの判定の仕方になるはず。それでも
「これはAIで作られたものです」
という表記を入れる議論は今後も当面続くでしょうが、私にはなんとなく無意味なことのように思えております。
あるいは、人間の最後の悪あがきのようにも見えなくもありません。
いい意味でも悪い意味でも、人間が作り出したAIによって、人間の創造性というものが大変革期を迎えているように思われます。


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