こんにちは、中西です。
もうご存知かと思いますが、土曜日の夜に、東海道新幹線内で3人の男女が男に刃物で殺傷される事件が起きました。
今のところ報道で伝えられている動機として、容疑者は「むしゃくしゃしたからやった」「誰でもよかった」と言っているようです。
わずか3週間ほど前にも、愛知のネットカフェ内で無差別刺殺事件があったばかりでした。
しかもネットカフェの事件も「誰でもよかった」という新幹線の事件と同じ動機で、今回と同じ22歳の容疑者でした。
さらに奇しくも同じ30代の男性を、同じく刃物でメッタ刺しにする、という事件でした。
あまりに一致点が多すぎるわけです。
そもそも近年の無差別殺傷事件は「共通点」が多いです。
池田小事件、秋葉原事件、愛知ネットカフェ事件、東海道新幹線事件の4大事件は、調べてみたら以下のような共通点がありました。
▼池田小事件と秋葉原事件が6月8日、新幹線事件が6月9日
▼池田小、愛知、新幹線事件は刃物による凶行、動機は「誰でもいい」
▼愛知・新幹線の各事件は22歳、秋葉原事件は25歳と、20代前半の犯行
▼全事件の容疑者が仕事に就けていない・問題等を抱えていた
▼自分の人生に対する無価値さ・投げやり感・自殺願望を語るなど、他人の命ばかりか「自らの命」を軽んじている節がある者が多い
上記の各共通点に思うところはいろいろあるのですが、ざっと調べてみた限り、私が感じたのは、すべての無差別事件に共通しているのが、
「親から愛されて育っていない」
という点です。
各犯人の生い立ちの詳細は長くなるので省略しますが、どの事件も「親から愛されて育っていない」と感じる生い立ちばかりでした。
私は教育学部を卒業して卒論も「家庭教育の方法論に関する考察」なんてタイトルだったくらいなので、家庭教育については多少自分なりに考えたことがあります。
その上で思うのは、結局「方法論」というより「愛情をかけられて育ったかどうか」が何よりも大事なわけです。(だからこそ最近の5歳児の虐待死はあまりに痛ましいわけですが)
無差別事件の元をたどると、共通してそのもっとも大事な「愛情をかけられて育つ」という要素がない生い立ちがあります。
「愛されて育っていない人間」が最終的に凶行に及んでいる。
これは結局どういうことかと言いますと、
【 愛されずに育った人間は、自分の命を軽んじる。その結果、他人の命も軽んじる 】
ということです。恐ろしい話ですよほんと。
そういう人が全員犯行に及ぶわけではありませんが、
そういう人物が学校を卒業し、仕事に就いて、「誰からも愛されていない上に、社会的にも自らの存在価値を見出せない」という状態になったときは危険です。
22~25歳というのは大学を卒業する年齢ですが、社会人になる年齢でもあります。いわゆる「新卒」というのはこの年齢を指します。
このとき、学校教育では突きつけられなかった、「社会における自分の価値の低さ」を突き付けられる人は多いです。私も思いっきり突き付けられましたが。
無差別殺傷事件の年齢が20代前半の近いところに集まっているのは、決して偶然ではないと思います。
しかし元をたどれば、「愛されずに育った」という要因が一番大きいのです。(せめて友達や先生から愛されていれば変わったかもしれませんが)
愛されてこなかったから、自分の命を軽く感じる(命の重みを理解できない)。自分の命が軽いから、他人の命も軽く感じる。
自分の命が軽いと、ちょっとしたことで自殺願望が生じる。同時にちょっとしたことで社会への恨みも高じる。
その社会への恨みを、自殺したいほど軽い自分の命と同じく「他人の軽い命を奪う」ことで晴らそう。俺だけ価値がないのは不公平だ。それが最終的に
「自分の命と同様に他人の命は軽いから、複数の命でも平気で殺傷できる事件」
につながるということです。
「愛されて育つこと」が人間にとっていかに重要で、いかに偉大なことかを改めて考えざるをえません。
それではまた。