- 2017-9-3
- おすすめ記事, その他・雑談, 勉強のモチベーションアップ, 受験の意味を考える
こんにちは、中西です。
本日は日曜日なので、恒例の雑談で。
(このブログ・メルマガは日曜日は雑談系ネタになることが多いです)
先日実家に帰った際に、小学生(低学年)の甥っ子・姪っ子と家の中で遊んでいました。
途中でゲームの話になって、その流れで実家のパソコンの電源を彼らが付けたのです。
パソコンをあけ、二人が真っ先に何を見たかというと、YouTubeでした(゚o゚;)
私は最初、後ろのほうで二人の後ろ姿を見ていただけでしたが、なにやら盛り上がっていたのでのぞき込んだら、二人は“ある人物”の動画を観ていたのです。その人物とは、
ヒカキン
さんでした。
■ヒカキンさんを誤解してました<(_ _)>
いや~驚きましたね。よくわかりませんが、ヒカキンさんが黒のランドセルをしょって、小学生みたいな帽子をかぶって何かしゃべってるネタだったのですが、とにかくそれが二人にとっては面白いようなのです。
「小学生たちに大人気のヒカキン!」なんて話は何年も前からメディアで聞いてましたが、実際に家の周りに田んぼと山しかないような滋賀の片田舎で、自分の甥っ子と姪っ子がヒカキンさんの動画を食い入るように観てる姿は結構な衝撃でした(笑)
「ヒカキンって面白いん?」と聞くと、「ヒカキン、めっちゃおもろいで!!」とすごいテンションの甥っ子(゚_゚;)マジカ
実は私はヒカキンさんが前からあまり好きではなかったのですが、その理由は全然面白いと思えなかったからです<(_ _)>
地上波では放送できない「ドキュメンタル」くらいの突き抜けた番組で、ようやく面白いと思えるタチなので、変顔したからなんやねんと。「ぶんぶん、ジャンケンポン!」とか言われても(;゚ロ゚)と。笑いのクオリティが低いけど子どもには受けている人だと勝手に思ってしまって、以来彼にまったく興味がわきませんでした。
でも身内の子ども二人がヒカキンさんにはまってる姿を実際に目の前にして、明らかに私が間違っていたことに気づいたのです。彼は最初から完全に小学生に向けて、小学生の笑いに合わせた動画を作ることに徹していたんだなと。
よく考えたら、変顔やじゃんけんなんて、大人の感性で面白いと思ってやっているはずがありません(笑)。小学生の感性に合わせて、小学生の目線で面白い動画を作る。このスタンスにとことん徹して動画を配信されているわけですね。ようするに「一人ポンキッキ」みたいなものでしょう。想像以上のプロフェッショナルだなと思いました。
ヒカキンさんの動画を見てめっちゃ楽しそうにしている小学生の二人を目の前にして、ヒカキンさんが自分のスタンスを何年も崩さず貫いていることが、実に素晴らしいなと思った次第。
それに気づいてから、私の中で一気に彼へのリスペクトが強まったのです。今後も彼の動画はほとんど観ないと思いますが(笑)、彼は尊敬できるし、信用できる人物だと思いました。
■全く別のタイプのYouTuberがいた
一方、同じくらいの時期に、似たような名前の(!)、同じようなキッズ向けのYouTuberさんで、ヒカキン氏とは正反対のタイプのYouTuberもいました。
最近、かつて前例がないほどの“大騒動”を起こした人物。言うまでもなくヒカル氏です。
私がヒカル氏の存在を知ったのは、まだこの8月初旬くらいで、有名な祭りの当たりクジを検証する動画で知りました。彼の動画はそれくらいしか観ていないのですが、その後に彼が起こしたVALU騒動は、その内容も、騒動後の発言や対応も、ほとんどの人が感じたのと同様に、あまりにひどいなと感じたわけです。
VALU騒動を発端とする今回の一連の騒動は、詳細はもう有名ですし、簡単に調べられるのでここには書きませんが、私が思ったのは、ヒカル氏は「信用」を失うことの怖さを、ほとんど理解できていなかったのではないかということです。
■社会は「信用」で成り立っている
目に見えない要素なので気づきにくいですが、社会も個人も、「信用」というものをベースに成り立っています。
偉そうなことを言える立場では全くありませんが、社会人で自分の「信用」を意識せずに働いている人などいないと思います。
なぜなら個人としての「信用」を無くすと、組織から解雇されて、食べていけなくなるからです。(例:毎日遅刻しまくったり無断欠勤を数回したら、個人として信用を無くし、それだけで解雇の理由になる→生活できなくなる→自分の「信用」を意識せざるを得ない)
また、雇う立場の経営者・経営幹部だったとしても、スタッフからの「信用」が得られなければ働いてもらえません。
人間的にもそうですし、収益が減って給料が遅配してもアウト。社長への信用を無くして会社を辞めていくでしょうし、場合によっては訴えられます。
さらに経営層は内部からの自分に対する信用だけでなく、お客さんからみた「会社の信用」もかけて日々働いているわけです。
たとえばあなたが今読んでいるこんなブログですら、私自身や事業の「信用」をかけて発信しています。
このブログでヘタなことを書いたり、アホな発言をしたら一気に信用を無くすリスクも常に抱えているわけです(・・;)。
逆に、喜んでもらえるような内容を配信すると、私の信用も少しずつ上がっていきますヽ(´▽`)/
適当な気持ちで2000記事も書けませんし、適当な気持ちで1000日間も毎日欠かさずメルマガ配信なんてできません。適当な気持ちで「家で勉強に集中する方法」の2時間の動画(祝フリーザの戦闘力53万再生突破!)も作ることはできないです。
まだ全然大したことをしていませんが、そうやって少しずつ、何年もかけて信用を積み重ねてきたのは事実ですし、それは今後も、毎日ずっと続きます。
■すべての人・組織が「信用」をかけて毎日生きている
「信用」というのは別にすごいことをやらなくても、一見とても小さなことが信用を左右しています。
たとえば「返信が早い」というだけで信用する・される場合も少なくありません。
これは私の中でもう何回経験したかわからないくらいの日常のことですが、「返信が早い」ことで相手への信用度がアップすることは本当に多いです。
私の場合、最近は上記の無料動画のおかげで膨大な数の質問・相談が毎日大量に届いているため、そっちの質問・相談はほとんど返信してませんが(動画に関する返信は余程の内容以外ほぼ無理な状況)、有料サービスの絶対必要な返信は必ずしています。当たり前ですが。
ちょうど今朝もそんなことがあり、「オンライン自習室のシステムにログインするためのメールが届かない」という新メンバーさんからの問い合わせがありました。日曜日でしたが最優先で対応してすぐに解決しましたが、例えばその対応が、もし火曜日や水曜日になっていたらどうなっていたでしょうか。
おそらく、その新メンバーさんの私や当会・事業に対する「信用」が落ちていた可能性が高いわけです。その方からすると「メールが届かない」という状況自体で信用が1度落ちかけ、日曜日の早めの対応で、その落ちた分の信用がまた少しだけ回復したかと想像できます。
そんなふうに、すべての社会人、すべての事業体・組織・企業は、いつもほぼすべての時間を「信用」をかけて戦っているといえるわけです。
これは別に仕事においてだけでなく、プライベートにおいても同じです。
たとえばあなたがまだ学生だとしても、日頃の友人関係や家族、先輩後輩、恋人、先生などとの人間関係においても、実は見えないところで「信用」が積み重なったり、毀損したりしています。
仲がいいからといってそこに甘んじ、不誠実な態度・言動をとっていると、いつのまにか誰にも信用してもらえない人間になっていたりするのです。偉そうに言ってますが、私もこれまで何度親しい人からの信用を落としたかわかりません(ノ_-。)
社会人の場合、残念ながら信用があっても経済的に窮することもあります。しかし一方で、すべてを失っても、信用さえ残っていれば、誰か(どこか)が助けてくれたり、復活することができることも少なくありません。
大げさではなく、この現代社会で生きていく上では、個人も組織も、「信用」がすべてといっても過言ではないのです。
よってその「信用」を一気に失ってしまうと、本当にヤバいです。もうそれ以上にヤバいことは無いのではないかと言えるくらい、「信用」を失うことは現代社会では危険な状態なのです。
とくにネットでもリアルでも一気に有名になったあと、信用を極端に落とすようなことをしでかした場合、もう二度と立ち直れないダメージを受ける危険性すらあります。
■ヒカル氏は「信用」をあまりにも軽視しすぎたか
今回のヒカル氏のVALU騒動が、ヒカル氏にとって本当にヤバい状況のように私が感じるのは、彼がビジネスにおいてもっとも大事なこの「信用」を、過去に前例がないほど、相当なところまで失ってしまった可能性があるからです。
VALU騒動は、発端となったVALUという仕組み自体が新しいものだったため、それが「法に触れるかどうか」が一つの焦点になっていました。多くのサイトで各専門家の方々がその観点で解説されていたようです。
が、それも大事かもしれませんが、この件は「法に触れないから問題ない」という話ではなく、法に一切触れていなかったとしても、ヒカル氏の騒動とその周り人たちの言動が、「ヒカル氏およびYouTuber全体の信用を落とした」という認識が相当広まっています。これが何より問題ではないかと思うのです。
他の有名YouTuberと言われる人たちが、この騒動でずいぶんとキレているようですが、それも当然だと思います。これまで何年もかけて、毎日必死の思いで積み重ねてきた、自分の職業(YouTuber)全体の信用を、ヒカル氏に落とされたと感じた人がいてもおかしくありませんので。
しかも動画配信を主力事業としていながら、その点に対する謝罪の動画も一切なく、その点も火に油を注いだ格好になっています(本稿執筆現在)。
■「ヒカル騒動」と「ホリエモン騒動」が、根本的に違う点
今回の騒動について、昔世間を騒がせた「ホリエモン騒動」と同列に語る人が少なからずいました。
ホリエモンも突然メディアで脚光を浴びて、その後物議をかもす言動を連発し、最後に捕まってしまったので、似たようなものだと思っている人がいるのかもしれません。
ただ、私自身は「ヒカル騒動」と「ホリエモン騒動」は、たしかに多少似ている部分はあるかもしれませんが、根本的なところで、全く違う性質の騒動だと思っています。
両騒動の何が決定的に違うかというと、ホリエモンが敵に回したのは「旧態依然とした制度」や「国家権力」や「既得権益層」だったのに対し、ヒカル氏が敵に回してしまったのは、「世間」だという点です。
実はホリエモンは逮捕される前まで、世間からはずっと賞賛をされていた部分の方が大きかったのです。最大の理由は、(今もそうですが)発言内容が「誰も言いたがらない真実」のような内容が多く、発言自体は的を得たものだったからです。
ただその発言内容は、すでに利益を享受している「国家権力」「既得権益層」からは図星すぎて耳障りな内容が多かったのです。世間からすれば「よくぞ言ってくれた!」という発言も多く、逮捕されたときも擁護する知識人が少なくありませんでした。
つまり、彼は「国家権力」「既得権益層」からは目障りな存在だと思われ、結局逮捕されましたが、「世間」はほとんど敵に回していなかったのです。
その証拠に、彼は刑期を終えて出てきた直後から大活躍しはじめ、今ではベストセラー作家の常連にまでなっています。
しかし、今回のVALU騒動を発端とする一連の動向を見る限り、ヒカル氏の騒動は、ホリエモンの騒動とは根本的な部分で全く性質が違うのです。
ホリエモンは「世間」を敵に回しませんでしたが、ヒカル氏は「世間」を完全に敵に回してしまった状態になっています。
ホリエモンが逮捕されたときも、彼が後年復活するイメージは容易にわきましたが、今回の「世間」を完全に敵に回したヒカル氏が、今後これまでのように復活できる状況が、私の乏しい知識・経験では全くイメージできません。
「法律に触れなければ何をやってもいい」という発想をする人が時々いますが、それは完全に間違いで、もっとも重要な「信用」を落としてしまったら、たとえ法律には触れていなくても、この資本主義社会・ネット社会では生きていくことはできないのです。
■受験生はこの騒動から何を学ぶか
さて、ここで話を受験生に向けてみます。
受験生が何のために勉強しているのかというと、理由はいろいろありますが、「信用を手に入れるため」という側面がかなりあると私は思っています。
それは大学受験でも資格試験でも同じで、「合格する」という目的は、その後の楽しい生活を手に入れるためであり、かつまた、自分自身の“スペック”を1つ増やして、今よりも社会的な「信用」をアップさせるためという要素があるはずです。
「大学」に入学することや、「資格」を手に入れることは、それだけで幸せになれるほど単純な時代ではありませんが、自分自身の「信用」を確実に1ランクアップさせてくれます。
その後もずっと同じで、人は少しずつ経験や知識を積み重ねながら、自分の「信用」を積み重ねていくわけです。
信用のことを「ブランド」ともいいますが、そうやって「自分自身のブランド」を作っていくのが、人生のある種の側面ではないかと思います。
ネットや流行の波に乗れば、少し前のヒカル氏のように短期間に一気にブランドを作れることもありますが、「信用」されない言動をしていると、一気にブランドを破滅させることもあるということです。
そして、失った信用は二度と取り返せないか、取り返すとしても膨大な時間がかかってしまうのです。
今回の「ヒカル騒動」から受験生が学べることがもしあるとすれば、この「信用」の重要性だと思います。
(なお彼はまもなく謝罪動画を出すという話が、本人を取材したある記事で出ていましたが、あまりにも遅きに失した感があります。その動画がどういう内容になるかわかりませんが、言動や対応を間違えてしまい、「世間」からの信用を失うことが、どれほど恐いことかを私たちは学ばせてもらっていると言えるかもしれません。)
「他山の石」「反面教師」「人のふり見て、我がふり直せ」という言葉がありますが、今回の騒動はまさに「信用」の重要性が反面教師的に学べる、受験生にとって格好の教材ではないかと思った次第です。
それではまた。