- 2018-10-30
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こんにちは、中西です。
前回は、YouTuberになったカジサック(キングコング梶原)さんの活躍ぶりから、
「所を得る」(適した仕事について活躍すること)
の大切さについて考えてみました。
この「所を得る」というのは一見すると、よく言われる
「適職」「天職」
と混同されそうですが、実はそれとは少し違うものだと私は考えています。
「適職」「天職」という発想では、自分を最大限に活かせる機会を見落とす可能性があるのです。
どういうことかと言うと、「適職」「天職」という考え方は、その名のとおり「職業」で区切る考え方です。
しかし、現代においては「職業」による区切りでは“大きすぎる”ことが多いのです。
カジサックさんの例を見てもわかりますが、彼は「芸人」という職業を選びましたが、ひな壇では活躍できない自分に気づいていたわけです。
ひな壇では自分の能力を全力で発揮できない感覚がある。そんな中で、もしひな壇の仕事ばかりが入ってきたら、芸人として大して活躍できないままになります。
「芸人」という職業には、さらに細分化された「漫才」「コント」「司会」「ロケ」「ラジオ」「営業」「ライブ」とか、いろいろフィールドがあるわけです。
器用な芸人さんは何をやらせてもうまくやるのでしょうが、特定のフィールドでのみ力を発揮出来る人も多いです。
人気トリオの東京03(先日新幹線で3人が目の前にいた(゚o゚;))もライブは常にチケットが即売になるほど人気ですが、テレビに出るのはあまり得意ではないと何かのインタビューで語ってました。
伊集院光さんも「ラジオ」が自分が最も活躍できるフィールドだと認識し、そこに特化し、そのラジオで「所を得て」大活躍し続けてます。
漫画業界でも、最近は以前より「原作者」付きの漫画が増えていて、「話を作る人」と「絵を描く人」が分かれている作品多くなってます。これも仕事の細分化(分業化)です。
「ドラゴン桜」「インベスターZ」の三田紀房さんも、最近はもう自分では絵を描かず、自分の絵のタッチをスタッフや外注に教えて、自分は「話のみ」作っているそうです。
これはどの職業でもそうなのです。
私がやっていたフリーライターでも、「書く仕事」のイメージがありますが、実際は「事前の調査」→「取材」→「執筆」という流れがあります。
私はその中で「取材」が圧倒的に得意でした。当時は「取材だけ出来ればいいのに」としょっちゅう思ってましたが、今ならネットで仕事の受発注が簡単にできるので、それも可能になっています。
逆に、人に会うような「取材」は苦手な人もいて、「事前の調査」だけを専門にやるリサーチャーや、インタビュー音声のデータをもらって「執筆」に特化して仕事をする人もいます。
この「仕事の細分化」はどの職業でも存在しているので、「適職」「天職」という“職業区切り”の発想では、自分の活躍できるフィールドが見つからない場合もあるのです。
となると、「職業区切り」ではなく、もっと自分の得意・好きなことの本質を見た方が「所を得て」活躍できる可能性が高まります。
たとえば「人の話が聞く」のが得意だから、その要素が多い仕事(インタビュアー、カウンセラー、士業、相談員など)を選ぶとか、
「教える」のが好きだから、先生業・講師・コンサル・コーチ・研修担当とか、「教える」要素が多い仕事をメインになるように持っていく。
営業マンでも、前にいた家庭教師会社では、電話でアポ(家庭に伺う約束)を取るまでが得意だからそこに特化する人、アポ後の交渉が得意だからそこだけを担当する人、無料体験で子どもに教えるのが好きだからそこに特化する人と、細分化されていました。
以上はごく一例ですが、とくに現代は「細分化した仕事に特化」しやすい時代になっています。そして、その特化した者同士で簡単につながることもできる時代です。
よって「職業」というある種古い区切りで「適職」「天職」を探そうとすると、その中の合わない仕事で苦しむことになりかねないのです。
というわけで、将来を模索中の人で「所を得て」活躍したい人は、
「自分はどういう“職業”に向いているのか」
も大事ですが、それと同時に、より細分化された
「自分はどういう性質の仕事に向いてるのか」
を考え続けるのが大事になってきます。
受験教育に洗脳されると「苦手分野があったらダメ」「苦手なことをいかに克服するかが大事」だと思い込まされますが、
社会で活躍している人は例外なく「得意分野を伸ばした人」であり、そこを伸ばせるなら“苦手科目”なんていくつあってもいい、というのが社会で勝つセオリーなのです。
それではまた。