- 2013-10-10
- 元アメブロ記事(13年2月~14年5月、修正中), 受験を突破するマインドセット, 潜在意識・自己暗示の活用
こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
これまでこのブログやメルマガ、そしてOCPなどを通していろんなタイプの受験生を見てきて気づいたことがあります。
それは、成績があまり良くない人に限って、「頭がいい」「頭が悪い」という言葉をよく使うことです。
それとは逆に、成績の良い人は、あまりその言葉を使わないのです。
成績のいい人に対して「あの人って、頭がいいよね~」と言っている人は、勉強をして自分の実力が上がっていくメカニズムを、知識としても体験的にも理解できていない人だと考えられます。
つまり、この「頭がいい」「頭が悪い」という言葉を使うかどうかで、その人が受験勉強というものを、正しく認識できているかどうか、また今後成長して行けるかどうかがわかってしまう物差しになるわけですね。私はそう思ってます。
このブログを以前から読まれている読者さんなら、もう当たり前すぎる話になりますが、最近読み始めた方も多いので改めて念押ししますと、
こと受験勉強において「頭がいい」「頭が悪い」という言葉は、ほとんど何の意味もなさないワードです。
私自身が10代のときに勉強法の存在も知らず、成績も悪い時期が何年もあったのでよくわかるのですが、
そういった成績が悪く、勉強の要領も知らない人からすれば、成績が良い人というのは、とてもとても「頭がいい」ように見えてしまうのです(*_*)
たしかに、勉強をすればするほど、脳にその知識や解法パターンが蓄積されて行き、問題も解けるようになるわけですから、
未だそのレベルに到達していない人からすれば、そんな自分が解けない問題をスラスラ解ける人を見て、「すげー賢いな」「頭がいい人だ」と感じてしまうのもわからないではありません。
同時に、その同じレベルの問題をまったく解けない自分は「頭が悪い」と感じてしまうのも、(そういう考え方の人なら)必然的に行き着く結論なのかもしれません。
しかし、繰り返しますが、受験勉強において「頭の良し悪し」などは、ほとんどまったく関係ない要素なのです。
「正しい方法」で「勉強量をこなす」ことさえできれば、多少の個人差こそあれ、最終的には誰でも必ず成績(実力)を上げていくことができます。
ひらたく言えば、勉強は「頭の良し悪し」ではなく「やったかやらなかったか」、ただそれだけで決まるのです。
もーっとひらたく端的に言ってしまえば、ただ単に「やったもん勝ち」の世界なのです。
その意味で、受験勉強ほど公平なゲームもありません。「頭の良し悪し」はもちろん、「才能」というものも関係しませんからね。
しいて個人差が出る部分を挙げるなら、科目の好き嫌いによって、勉強効率が多少変わってくるぐらいでしょうか。
好きな科目なら、当然集中しやすく勉強量を増やしやすいですし、その逆もまた真なりです。
ただ、科目の好き嫌いなど誰にでもありますし、嫌いな科目だからといって、それで成績が上がらないということもありません。
というわけで、勉強というのは、「頭の良し悪し」「才能」などほとんど関係なく、ただ「やったか、やらなかったか」それだけで勝負が決まる、超公平な世界です。
成績がいい人を見て「あの人は頭がいいなー」と言う発言は、これからは禁句にしましょう。
もう一度念押し。勉強というのは、「やった」か「やらなかった」か、ただそれだけのゲームです。