- 2016-3-12
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こんにちは、中西です。
好きなこと論シリーズ、本日も続きます。
前回は、夜景評論家の丸々もとおさんを例に、自分の好きなことが「マイナー分野」「前例が無い」「世間にあまり認知されていない」ような場合はどうすればいいのか・どう考えればいいのかについてお伝えしました。
前回の最後にも書きましたが、この話を「特殊な働き方をしている人」の事例として他人ごとのようにとらえてしまうと、事の本質を見誤ります。
というのは、この話は最終的に、現代に生きる誰もが抱えている課題に突き当たるからです。
その課題とは、「需要と供給で成り立っている」という、この世界のメカニズムです。
何を考えるにしても、この観点を考慮した上で、自分の生き方・働き方を考える必要があるのです。
丸々さんはどこかの段階で「夜景というジャンルが世の中に需要があるはず」と気づき、それを仕事にしました。
たしかに丸々さんがやったことは「夜景の専門家」というジャンルを自分で作り上げ、何も無いところに道を切り開き、世間に夜景の「需要」に気づかせるという高度なものでした。しかしあなたがどの道に進むにしても、この「需要について考える視点」というのは不可欠です。
なぜかこの視点がすっぽり抜け落ちた「好きなことで生きていこう論」が巷にあふれていたり、その視点を欠いたまま人気資格・難関資格・国家資格という理由だけで資格を取ろうとしている受験生が山のようにいたりします。
いわく「好きなことをやれば、ワクワクして自分らしく楽しく生きられる」「難関資格(国家資格、人気資格) だから、この資格にチャレンジしよう。合格すれば手に職が付けられる♪さあ頑張って勉強するぞ!」・・・ともに世の中における「需要供給のバランス」がどうなっていて、自分が供給側(お金をもらう側)になった際に、どういう形で自分にお金が入ってくるのかといった観点ががすっぽり抜けていないでしょうか。
ただ「好きなこと」をすればいい、ただ「資格を取る」ことでその後はなんとかなるはず・・・んなわけないやんと。
資格というのは、それが“いい資格”であるほど、いずれ「需要<供給」になりやすいわけです。
当たり前なのですが、勉強して資格をとるだけで食べていける可能性が高い資格があるなら、みんながその資格を取りたいと思うのです。するといずれ必ず「需要<供給」になります。つまり供給過剰です。今なら弁護士などはその典型かもしれません。
供給過剰の資格を今から取ろうとするなら、資格取得後に他の同じ資格ホルダーとの差別化が問われます。たとえば起業専門の行政書士、教育業界専門の税理士、社労士業務もできる診断士などなどなど。
どこかに雇われるとしても同じで、その資格所有者が多いなら、自分は他の同じ資格所有者と何が違うのかが重要になってくるわけです。
それは結局「需要<供給」の業界でどのように自分は生き残っていくかという話につながるわけで、夜景評論家の丸々さんが需要の無い世界で道を切り開いていった話と本質的には実は同じなのです。
さらに言うと、この需要供給のバランスはどんな業界においても常に変化していますので、先生や親の世代と子供世代では全く状況が違うことも多いです。親は一昔前の世代の価値観で世界を認識している人も多いので、親のアドバイスが正しいとは限らないわけです。
この「常に変化している需給バランスを感じ取る嗅覚」が、何をするにしろ、何かを始める前には問われていると思っておいた方がいいですね。この観点というのは、なぜか持っている人は当たり前のように持っているのですが、無い人はビックリするくらいに全くこの視点を持っていないんですよね。ただなんとなく「手に職を付けようと思ったからとりあえず勉強始めました」みたいな。。
ちなみに商売人(起業家、経営者、個人事業主、フリーランス)はこの需要・供給の観点を当たり前のように持っている人が多いです。だってその観点ナシにはお金なんて稼げないから。
しかし学生などの若い人は、需要供給の観点を全く無視した、耳ざわりがいいだけの「好きなこと論」を語る本などにはまる人も多く、同様に資格試験を受ける人も、資格に対して資格取得後の需要・供給バランスの観点をあまり持たずに勉強を始めてしまう人が少なくないです。
これはおそらく「お金を稼ぐ」とか「お金がどのような流れで自分の懐(ふところ)に入ってくるか」という点に対する理解や経験がまだあまり無いからなのかもしれません。
なんせ学校や塾などの教育現場では「お金」の話や「お金を稼ぐ」ことがまるで汚い行為かのごとく、お金を稼ぐことに関する話はタブーみたいに扱われることが多いわけです。そういう現実社会で極めて重要なお金の話にフタをしてしまっている「勉強しているだけで褒められる世界」「よりたくさんのことを覚えた者が勝つ世界」の価値観を引きずったまま世の中に出ようとすると、学校教育と現実社会の歪みにはまってしまうのです。このあたりは現代教育が抱える課題の一つではないかと思います。
その学校(高校)教育の感覚を持ったまま大学に行き、その感覚を引きずったまま資格の取得をしようとすると、やはりどうしても、常に変化する需要と供給のバランスで成立しているこの世界のメカニズムを理解しづらくなるのかもしれません。
というわけで、この世界は「常に変化している需要・供給のメカニズム」が土台となって動いていますので、「好きなことで生きていく」にしても、「資格を取って生きていく」にしても、その観点を決して忘れないでほしいと思うのです。
※追記:次回の記事⇒「弱点の克服」という最悪の思想