- 2015-11-14
- おすすめ記事, 受験が終わった後について, 受験の意味を考える

こんにちは、中西です。
この2日ほど、
「将来への蓄積」
というテーマで
「受験で学ぶ知識はムダかどうか」
について私の考えをお届けしています。
詳しくは、前回、前々回の
メルマガを読んでください<(_ _)>
ちにみにこのシリーズは、
受験勉強の
「モチベーション」
に関わる重要なテーマなので、
このテーマの部分で何か
心にブレーキがかかっている場合は、
「集中力」
に悪い影響をもろに与えます。
「モチベーション」と「集中力」
はぜんぜん別物なのですが、
中には専門家の人ですら
区別がついてなかったりして、
けっこう混同している人が多いです。
「心から行きたい大学を見つければ、
勉強は集中力できるようになるんです!」
とか
「本気になれば、自然と勉強に集中できるものです!」
的なことを言ってる人は、
間違いなく区別できていないかと。
この2つは別物ですが、
密接に連動していて、とくに
「モチベーション」は
「集中力」の土台になっている
最重要ポイントなのでございます。
無関係ではないからごっちゃにする人が
多いんだろうけど。
この「モチベーション」がぐらつくと。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。
それを土台に構成される
「やる気」も「集中力」も
ぐらつくわけですね。
さて、話を戻して、
そのモチベーションに関わる
「将来への蓄積」
の話のつづき。
前回の復習をさらっとしておくと、
▼受験勉強で学ぶ「知識」は、
短期的には役に立たないことが大半
▼その知識を直接的に活かせる「職業」も少ない
▼だから「受験勉強の知識なんてムダ」という
結論になりがち。とくに短期的に役立つことを
追い求める思考の人。
▼しかし長期的にはその知識が
「ムダ」になっているとは言い難い
・・・そんなお話でした。
たとえば受験が終わった人で、
「あの受験勉強で学んだ知識って、
いったい何だったんだよ。
ムダなことばかり覚えさせやがって、
いい加減にしろ!」
と、ずっと怒っている
大学生・社会人っているでしょうか。
「まあ、あれはあれでムダじゃなかったよね」
ぐらいに思ってるんですよ、みんな。
本当に、本当に、
5年たっても10年たっても
「受験で学んだことが、
一切役立ってないし、
学びとしても一切意味がなかった」
と感じている人が
世の中にいっぱいいるなら、
さすがにもうちょっと本気で
大人もみんないろいろ反抗すると思います。
たとえば社会人で
「大学受験で学ぶ知識なんてムダだ!
全く意味がないから
受験で学ぶ内容を一刻も早く改革しろ!」
とか言ってデモ行進してる
おっちゃんおばちゃんとか、いるでしょうか(笑)
聞いたことないですよ、そんなの。。
もしいたら、どんだけヒマやねんと。
でも、そんなくだらないデモ行進でも、
現役高校生ならやるかもしれないです。
10代後半ではほとんど誰も気付けなくて、
20代後半以降の人なら、逆に
ほとんど誰もが気づいている
人生の真実を一つあげるなら、
「完璧にムダのない人生を歩むことなど不可能」
だということです。
生きていく上で、どうしたって、
ムダなこと・ムダな経験・ムダな遠回り
というのは絶対的に遭遇せざるを得ないのです。
それは「知識」も例外ではなくて、
「ムダな知識」「ムダな学び」
も、生きていく上で完全に避けることは
不可能であり、どうしたって
ムダに遭遇せざるを得ないと。
ところが面白いのは、
そのとき「ムダ」だと感じたものが、
5年10年単位くらいの長期スパン
で見たときには、
その「ムダ」が別の状況で・別の形で
たびたび役立つことが少なくなくて、
結果として
「長い目で見るとムダじゃなかったな、
あの経験(知識)も」
と後になって感じることが、
とてもとても多いのです。
しかし残念ながら10代では、
5年10年の長期スパンでものを見たことが
非常に少ないから、
なかなかここに気づけないのです。
私は文系なのに、センター試験で
「数学」も「地学」もやりましたが、
その勉強がムダだったなんて、
全く思わないです。
やってる受験生当時は、
ひたすらめんどくさかったけど。
数学のような
ああいうロジカルな思考は
明らかに今でも活きていますし、
地学にしろ何にしろ、どの勉強も
やっておいて良かったと思っています。
読書してるときとかも、しょっちゅう
受験時代に学んだ話とか出てくるし。
日本史をやってなかったら、
司馬遼太郎などの歴史本の面白さも
半減してたでしょう。
たかが半年とか1年とか、
長くても2年程度の受験生活なわけで、
【 その程度の時間で学んだ知識なんて、
ムダの範疇に入りようがない 】
と個人的には思いますね。
前回も書きましたが、 1年なんて
おっさんから言わせてもらえば、
くしゃみする時間とあまり変わりません。
2年でもあくびくらい。
え?センターまであと2ヶ月とな?
二次試験の本番まであと3ヶ月?
もう2〜3ヶ月なんてね、
まばたきですよ、まばたき。
この年齢による時間感覚のちがいは
「年齢とともに時間が短く感じるようになる」
というよくある話で、
そうなる理由の1つは、年齢とともに
過去の人生に占める単位時間の比重が
小さくなるからです。
たとえば、
5歳児にとっての1年は
一生の5分の1なので、やたら長いわけです。
20歳になると20分の1になるから、
過去のうち1年が占める割合が、
5歳のときの4分の1です。
だから1年も昔より短く感じると。
だんだん自分の過去に占める
1年の割合が短くなるわけで、
30歳なら30分の1でしかないし、
80歳ならたった80分の1。
18歳の受験生にとっては、
1年はもちろん、半年ですら、
そこそこ長いでしょう。
よって、その「そこそこ長い期間」に学ぶことも、
ムダのない知識ばかり
でありたいと思うのもわかります。
そしてそのスパンで見たら、
受験勉強はムダな知識ばかり
に見えるかもしれません。
が、上に書いたように、
短期的にはそうだったとしても、
長期的スパンで見たときに、
それがムダだったなんてことは
たぶんありえないよと。
だからといって、受験制度が
このままでいいとは全く思わないのですが、
いまこのタイミングで受験生に
伝えられることがあるとすれば、
いつかそのうち
「まあ、受験勉強って
めんどくさかったけど、
あれはあれで、ムダではなかったよね」
と思える日が必ず来るので、
「受験勉強がムダかどうか」
でモチベーションがぐらついている状況の人は、
そういうものだと理解してほしい
ということです。
これはもう、私のここまでの話を
信じるかどうか、という次元に
なるのかもしれませんが。
というわけで、昨日のご質問の
Q,受験生にとっての「蓄積」って何ですか?
という観点で受験勉強の
「知識」
について考えると、
以上のような結論になります。
ただ実は、受験勉強から得られる
将来のための「蓄積」は、
「知識」
以外にもいろいろあるのですヽ(´▽`)ノ
・・・が、それについて書き出すと
おもいっきり長くなるのでまた後日。
それではまた。