こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
今回は完全に雑談。
受験とは関係ないです。
最近なんだか歳をとった気が
している人で、
「自分はもういい歳になってしまった(ノд-。)」
とお嘆き気味の人は
読んで下さい。
本題。
前にも少しブログで
書いたことがあるのですが、
うちの母は介護の仕事をしています。
たしか、
介護福祉士とかヘルパーさんと
呼ばれる職業のようです。
母は他人の介護が根っから
大好きな人なのですが、
もう楽しくて仕方がないそうで、
私から見ると相当な変わり者
にしかみえません。
ご存じの方はわかるかと思いますが、
介護の仕事というのは
本当に大変な仕事です。
介護疲れで自殺・心中する人も
いるくらいで、まして母がやっているのは
見ず知らずの他人の介護です。
日常の雑用から風呂の世話、
下の世話まで、全部です。
仕事内容の詳細を聞くと、
私には壮絶すぎて
言葉を失うレベルでした。
「あんたには絶対できんわ」
と母によく言われますが、
言われなくてもわかります(笑)
いちばんかわいいエピソードでも
「今日のおばあちゃんは、
ポットの中にご飯がいっぱい入ってて、
ポットと会話してたわ。
炊飯ジャーと間違えたみたい」
とか、そういう次元。
「いや、ジャーと間違えたとしても、
会話するのはおかしいやん」
なんていう常識的なツッコミなど
まったく通用しない世界(-_-)
ぜんぜん知らない
おじいちゃんおばあちゃんの
あらゆる世話をしていて、
母はそれが超楽しいと。
むかしおみやげ屋を経営していたときは、
「おみやげ屋の仕事の息抜き」
と言って、“ストレス解消”に
介護の仕事に行っていたほどです(゚д゚;)
そんな母ですが、今は年齢61歳。
還暦も超えてしまうと、
友人知人や同世代の親戚で
いろんな病気やら健康上の問題が
出てくる人が出てきたようです。
そういったことも重なり、
1ヶ月ほど前に私に
「この歳になってくると、
そろそろ死の時期も意識するようになるわ」
などと、めずらしく
暗めのトーンで
メールしてきました。
そんな状態だったのですが、
先日、103歳のおばあちゃんを
新たに介護することになったのです。
そのおばあちゃんとの
初対面の会話でこんな話があったとか。
母からのメールをそのまま公開します。
もちろん、本人には無断掲載です(笑)
———————————-
「今、103才のおばあさんの
ケアに入ってたんやけど…
このおばあさんが
なかなか口が元気で身体はしんどいんやけど
笑いながら介護してますわ
『あんた何才や?』
『61才です。』
『わっかいな~。婿(むこ)さんは?』
『65才です。』
『ひぇー、婿さんも若いな~』
だって。頑張ろーっと」
———————————-
私も想像してみたのですが、
たしかに自分が103歳のじいさんに
なったときに61歳の女性が介護に来たら、
「61歳かぁ。若くてうらやましいのぅ」
と言う気がします。
なんせ自分より42歳も
年下(!)ですからね。
「ワシも元気だった61歳のころに戻りたい!」
とか思うはず。
この103歳のおばあちゃんの言葉で
母は元気を取り戻して、
「まだまだ自分は若いんだ!」
と考え直したとのことでした。
ここから、
超重要な話をしますが、
実はこれは還暦を迎えた
母に限らないのです。
人間はいつの年齢であっても
「自分はもう歳をとった」
と嘆く生き物なのではないかと、
私はあるときふと気づきました。
前に「私、もう9歳だから」と言っている
小3の女の子を見たことがあります。
ある小学6年生は
「私、もう12歳だし」
と言っていました。
中学3年生は
「俺ももう15歳かよ」
なんて思っているし、
女子高生は
「ついに18歳になっちゃったよ、
もうオバちゃんじゃん」
と言っています。
OCP夏合宿のメンバーで
大学院入試を目指している
女子大生がいたのですが、しょっちゅう
「もう22歳ですが
女子高生には負けません!」
と世間の女子高生と張り合ってました(笑)
なにを隠そう、私が22歳のときも
まったく同じでした。
今でもハッキリ覚えているのですが、
高校の同級生から届いた年賀状に
「俺たち、今年で
もう22歳だぜ。やばいな!」
と書いてありました(笑)
25歳になったら「もう25歳」、
30歳になったら「私ももう30歳」、
40歳になったら「もう40代だよ(ノд-。)」。
どうやら人間は、
どんな年齢であっても、いつも
「私はもう○歳になった」
と嘆いてしまう生き物のようです。
が、私が本当に言いたいのは
そこではなく、問題は
「なぜ、どの年齢においても、
みんなそのように嘆いてしまうのか」
という謎です。
私もいろいろ考えましたが、
結論は、こうです。
【 想像力が欠けているから 】
それだけ。
よく考えたら、ハッキリ言ってそれだけ。
ようするに、なぜ多くの人が
「私はもう○歳だ」と嘆くかといえば、
【 「過去の自分」と比較しているから 】
なのです。
「過去の自分」は、
事実として存在していたので
イメージしやすいのです。
しかし、「未来の自分」は、
想像力がないとイメージできません。
具体的にイメージしやすいから
「過去の自分」とつい比較して、
その自分と比べて
「歳を取ってしまった(。´Д⊂) 」
と思いやすい。
だから小学生でもそう思うわけ。
しかしそれは、
正確な現状認識ではなく、
正確に言うなら、
【 今の自分は、過去の自分より歳をとっていて、
未来の自分より若い 】
というのが正しい現状認識のはずです。
その両方の意味を有しているのが
「今の自分」のはず。
なんだか哲学的、へ理屈的に
聞こえるかもしれませんが、その
「今の自分」に対する現状認識の間違いが、
「もう私は○歳」という嘆きを生みだし、
人によっては(上の母のように)
ときにそれで暗い気持ちになって
生きてしまう場合もあるので、
この「自分の年齢に対する認識」の問題は、
バカにできません。
前回の睡眠の件(=「みんな自分の睡眠時間を
過信しすぎ問題」)もそうですが、
脳内での“認識”を間違えてしまうと、
リアル生活でいろんなところで
弊害が出てくるので、
これはよく覚えておいてほしいと思います。
というわけで、長くなりましたが、
「私はもう○歳」も「私はまだ○歳」も
両方真実なので、
であれば、明るい気持ちになれる
「私はまだ○歳!残りの人生で一番若い!」
と考えるほうが賢いですね。
103歳になった未来のあなたからすれば
今のあなたのその若々しさが
うらやましくて仕方がないはずです。
中西