- 2013-10-21
- 元アメブロ記事(13年2月~14年5月、修正中), 受験の意味を考える
こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
受験生が受験勉強をしながらよく感じてしまうことの1つに、
「こんな勉強やっていて何の役に立つねん(>_<)」
という疑問があると思います。私も大学受験生当時、またその前の高校1~2年生のときも、よくそう思っていました。
当時(とくに16歳頃)の私は小説や文学という、いわばまるで実生活では役に立たないものを趣味で読む一方で、
実生活や生きていく上で超役立ちそうな三笠書房などの文庫本(知的生きかた文庫だったかな?主にオッサンが読む本)なんかも好きでよく読んでいました。
そういう「学校の外」にある知識をよく仕入れていると、学校で学ぶ知識というのは、いかにも面白くもない、役にも立たない低レベルな知識に見えたりします。
受験勉強も同様で、勉強しながら「こんな勉強が将来一体どんな役に立つねん!」と突っ込みたくなることも少なくありませんでした。もっと本音トークでいきますと、
「なぜこの勉強が高校で必要なのか!?
なぜこれらの知識を、膨大な時間をかけて俺らに教えているのか!?
具体的に、高校で学ぶことが将来、いつどう役立つのか?知識を教える前に、まずなぜそれを学ぶのかを話すべきだろ!
役立たないなら、なぜ役立たないものを教えるのか?その理由は?
そういった説明も一切なしに、ただただ覚えなさい、勉強しなさいってアホかこの人ら(←先生のことm(_ _)m)」
ぐらいのことを思っていたことも、一時期ございました。素直さが全くなかったわけです(こういう高校生はまず伸びませんね。。)
ところが、受験が終わって何年もするうちに、「受験時代の勉強って、長期的には全然ムダではなかったのでは?」という思いが少しずつ芽生えはじめてきたのです。
今では、「あのときあの勉強をしておいて、本当に良かったヾ(´▽`)ノ」と思うことがしょっちゅうあります。本当に頻繁にあるのです。
たとえばわかりやすい例でいうと、私は大学時代に司馬遼太郎さんの本もよく読みましたが、日本史の勉強をしていたことで、とても楽しくスムーズに読めました。
歴史小説というのは、日本史の知識があればあるほど、その小説の背景となる事件や関連事項を頭に浮かべながら、より深く読めるからです。
政治経済の読書をするときも、受験時代に日本史の近現代で学んだ知識がダイレクトに役立ちました。もし受験時代に学んだベースの知識がなかったら、理解できなかったか、理解するのに何十倍も時間がかかったと容易に推測できるのです。
現代文の問題を何十題も解きながら自然に頭に入っていた思想・哲学・論理的な思考なども、様々な読書をするときにあきらかに基礎知識として役立っているのを今だに感じます。
いっけん昔話でしかない古文・漢文で学んだ内容すらそうなのです。
古文・漢文で学んだ内容が、仕事・ビジネス・政治・経済などの読書の際に「その話を知っていることを前提に書かれた読み物」が出てくることも多く、「その話」というのが高校や受験で学んだ知識であることが少なくありません。
そのベースがなかったら、きっとその文章もまともに理解できないか、表面的な理解しかできなかったであろうと感じることが多いのです。これは読書や情報収集だけでなく、いろんな人との会話でもそうなのです。
英語はダイレクトに役立つのでもう言うまでもないですが、数学や地学ですら、私はやっておいて良かったと思うことが、受験が終わってから何度もありました。
数学で回答を導き出すために必要となるあの「論理的な思考」というのは、仕事でも実生活でも意外に使うことが多いのです。
数学の問題を頑張って解いていたことが、仕事や実生活の問題を解決するための頭の訓練になっていた、と感じることがよくあります。
地学で学んだ知識ですら、科学系のニュースを見るたびにしょっちゅう出てきます。私は最近宇宙論も好きなので、そのときにも頻繁に受験時代の地学の知識が出てきて理解を助けてくれます。
たしかに、高校や受験勉強で学んだ知識が、「100%全部」「すぐに実生活で役立つ」ということはないと思います。
ある意味それは当然の話で、いろんなありとあらゆる分野に進む受験生に対して、その全員に一律に同じ科目・分野を教えているわけですから、どうしたって「全員にとって」「すぐに全部の知識が役立つ」ということはありえません。
ところが、長期的に見ていくと、意外や意外、その受験生当時に学んだ知識があっちこっちで役立っているのを感じることが頻繁に出てくるのです。
つまり、受験で学ぶ知識というのは、勉強法のノウハウのような「即効性」のある知識ではないので、
「すぐに実生活で役立つこと」をそこに求めてはいけない、ということですね。
「この知識が何の役にたつねん!」という考え方は、まさにそのように短期的に即効性を求める思考回路だということです。
もう少し長期的に考えてみれば、受験生時代に思ったほど「役に立たない知識ばかり」では全然ない、ということだったのです。
もちろん、受験時代に学んだことが「いつか必ず」「100%全部」役に立つ時が来る!とまでは言い切れませんが(それは当たり前かと。)、
おそらく受験生のあなたが今思っている以上には、将来どこかのタイミングで役立つ可能性が非常に高いのは間違いないです。
受験勉強というのは、合格するための手段であると同時に、そういう長期的に役立っていく種類の知識を学んでいるということです。少なくとも私は今ではそう結論づけています。
そう考えれば、受験勉強というのは単なる「受験のための勉強」だけではない、生きていく上でいつか役立つ基礎教養を、
受験を通して一気にまとめて学べる壮大なインプット・イベントだととらえることができます。
これってとても楽しいことだと思うのですがどうでしょうか。別に受験生にやる気を出してもらうために話を飛躍させてるとかでは一切ないですからね。
何ごとも、考え方次第で楽しくもなり、辛くもなります。
同じことなら受験勉強が持っているそんな良い面も頭の片隅に入れながら、勉強に取り組むのが受験を楽しむ秘訣の1つだと思うのです。