- 2016-10-19
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外国に行って、とにかくビッグスターになりたい男
K国でそこそこ人気の俳優の一人にヌエロという人物がいた。
ヌエロは俳優らしからぬ控えめで人見知りをする性格だったが、これまでたくさんのドラマや映画にも出ていて、主演こそまだなかったものの、かなり有名な俳優の一人だった。
さらにヌエロには別の才能がもう一つあった。それは小説を書く才能だ。
彼は人知れず俳優の仕事の合間に小説を書き続けていたが、あるとき出版した小説がK国の伝統的な文学賞を受賞した。
人気俳優のまさかの文学賞受賞にK国中がわいた。
このヌエロの受賞を、誰よりも喜んだのはヌエロと同期の俳優ヤベエであった。
ヤベエはヌエロとともに同じ年に俳優養成所に入り、互いに刺激を受け合いながら一緒に芸能界を生きてきた、いわば同志である。
しかし、ヤベエはヌエロの受賞を誰よりも喜ぶと同時に、嫉妬とも競争心ともつかぬ表現しがたい複雑な感情に襲われている自分に気づいていた。
その複雑な感情は、受賞から一ヶ月たち、二ヶ月たち、半年たっても変わらないどころか、ますます強くなっていった。
そんな中、ついにヤベエは、これまで密かに眠らせていた野望を実現するために“ある決心”をした。
翌日、ヤベエはヌエロを居酒屋に呼んで、自分の決心について打ち開かすことにした。
乾杯をしてひとしきり近況を交わしたあと、ヤベエはヌエロに言った。
「俺、しばらく俳優の仕事を休業しようと思う」
同志の突然の言葉に、ヌエロは眉をしかめて尋ねた。
「は?俳優やめてどうすんの?」
「日本に移り住んで、そこでスターになりたいんだ」
「日本?なんで日本なんだよ。K国ではだめのか」
しごくもっともな質問である。ヤベエの回答はこうだった。
「いや、俺は最終的には俳優だけじゃなく、コメディアンとして世界トップスターになりたい。そのためには、お笑い文化が世界一の日本に行くしかないんだ。いずれは日本のお笑いグランプリで賞を取りたいね」
「・・・ちょ、ちょっと待て。おまえ、俳優の道はどうした?」
「俳優は俳優でやるんだ。まず日本に行って俳優として活動をスタートするじゃん。そしていろいろ頑張ってるうちに、チャンスがめぐってきて、いつかきっと日本のお笑いのスターにもなれると思うんだ」
「いやいやいや、マジどこから質問していいのかわからないんだけど、まずおまえ、日本語しゃべれるの?」
「全くしゃべれない。知ってるのは『スシ』と『フジサン』、あと『アリガトウ』の3語はわかるな。だから最初の3年くらいは日本語の勉強からやろうと思っている」
ヌエロは腕組みをしながら首を傾げている。どうしても、ヤベエの話が腑に落ちないようだった。
「そうか、まあ言葉の問題は勉強すればいいんだろう。しかしお前さ、100歩ゆずって、日本語はしゃべれないけど日本語をまず勉強して、日本で俳優を目指すならまだわかる。なんだよ、『最終的には日本のお笑いスター』って。」
「だから、日本のお笑いスターって、すげー人気でモテモテで金持ちにもなれるらしい。K国で俳優なんかやってるよりよっぽど派手だし、俺の性にも合ってる気がするんだ。」
ヌエロは腕組みをしながら軽く目をつぶる。軽くため息をついたようにも見えた。なにかを考えているようだ。しばらく沈黙が続いた。
数十秒後、ヌエロは口を開いた。
「いや、K国で俳優から芸人に転身するならまだわかる。あるいは俳優から芸人に転身して、さらに日本に移住して芸人としてトップを目指す、というならまだ何とか理解できる。」
「わかってくれた?じゃあ文句ないよな。ちなみに、もしかしたら半年ぐらいで戻ってくるかもしれないから」
「半年・・・」
「だってどうなるかわからないじゃん。ダメそうだったら半年か1年で戻ってくるから」
「いやあのな・・・だけどK国俳優のお前がさ、日本語を勉強しながら、日本で俳優としてスターを目指す。これなら十分わかるんだよ。
もっというと“語学力”もお前が本気なら大した問題ではないと思うんだ。そんなのは頑張れば、あとから付いてくるんじゃないかと俺は思う。
しかしな、とりあえず日本に移り住んで、それで日本で人気俳優を目指しながら、なぜ最終的には『日本のお笑いのスターになりたい』って言ってるわけ?そこがどうしても理解できない。」
「わからないかな~。簡単にいえば俺はビッグになりたいんだよ。別にお笑い芸人にこだわるわけじゃないんだ。何の分野でビッグになるかはわからないけど、とにかくビッグになって帰ってくるよ」
「おいおいおい、お前、いくらなんでもそれはさす・・・・」
ヌエロがそこまで言ったとき、急に隣の席の客がこちらに寄ってきた。
その客は50代ぐらいの男で、目はやや大きく肌の色は浅黒、髪はほぼ丸刈りのようなショーットカットで金髪、上半身は筋肉がムキムキのいかつい男だった。
その金髪が二人の間に割って入り、ヤベエに向かって言った。
「あのな兄ちゃん、俺日本人やねんけどK国語ちょっとわかるんやわ。で、悪いけどさっきの会話全部聞かせてもらったんやけどな。」
この隣で聞いていた男が誰かは全くわからなかったが、異様な男の目つきと迫力に、ヤベエは圧倒された。金髪でムキムキの男は言った。
「こっちのあんちゃんも言ってたけどな、K国俳優が日本に来て俳優目指すのはまだええわい。勝手にしたらええわ。けどな、日本に来て俳優やりながらお笑いでスターを目指すって言ったよな。」
男のそのあまりの凄みに圧倒されながらも、ヤベエは素直に返事をせざるを得なかった。
「はい、そのつもりですが、別に『お笑い』でなくてもよくて、ようは日本でビッグになれればいいんです」
その言葉を確認すると、金髪の男は片手を大きく上にあげ、机をバンッと勢いよく叩いた。
大きな音がしたが、居酒屋の店内は相当うるさかったので、近くの客がちょっとこちらを見ただけだった。
金髪は机に手をついたまま、低い声でヤベエにささやいた。
「おまえ、日本のお笑い業界を舐めんなや。そんなもんで日本でお笑いスターになれるほど、日本のお笑いは甘くないんじゃボケ」
そう言ったあと、金髪の男はヤベエたちのテーブルから去り、連れ合いの男に店を出ようと合図した。
「いくぞキム、こんなアホな客がいる店で飲まれへんわ」
金髪はK国人とも日本人ともつかぬ名の連れ合いの男に声をかけ、二人の男たちは店を後にした。
ヤベエは、見ず知らずの日本の男から、自分がいったい何を怒られたのかわからなかった。
そして呆然とした表情で無言のままヌエロと目を合わせ、「変なおっさんにからまれたな」と言わんばかりに、半笑いで首をかしげるしぐさをしてみせた。
金髪が店から去ったのを確認したあと、ヌエロは何かを思い出すように言った。
「そういえば、こんな話を聞いたことがある。最近の心理学の実験らしいんだが、人間は『遠い将来』のことを考えるときは、そこから得られる楽しいメリットばかり思い浮かべ、そこに至る計画は抽象的になりがちだと。
さらに『遠い将来』のことについては、その計画を実際に実行できる可能性についても、深く考えない傾向があるらしい」
「ほお。それで?」
「逆に『近い将来』のことを考えるときは、成功の見込みがどれくらいあるか、何が障壁になるかとか、そういった現実的で具体的な部分に目を向けて考える傾向があるらしい。実験でわかったんだって」
「へーそうなの。」
「つまりだ。人間は『近い将来』のことなら現実的に考えられるけど、『遠い将来』のことを考えるときは、つい理想主義者になってしまうってことだ。」
「何が言いたいんだ」
「つまりお前の『日本に行ってビッグになりたい』なんて夢は、現実的な戦略も何も無い、ただの理想主義、いや、単なる妄想レベルの話と変わらないんじゃないかってことだ!」
しばらく沈黙が続いた。ヤベエはタバコに火をつけたが何もしゃべらない。黙り込んで動かない二人の間に、煙だけが舞っている。
沈黙は意外なところから破られた。さっきの金髪のムキムキマンがいた逆隣りの方から、今度は別の男が二人の話に割って入ってきたのだ。
「すいません、ちょっといいですか」
ヌエロとヤベエは突然の“来客”に驚きながらも、先ほどの来客とは違う腰の低い雰囲気に安堵を覚え、思わず軽くうなずいた。
その男は、口と顎に濃いヒゲを生やしていたが、目は少年のように澄んでいた。30代半ばくらいだろうか。
男はヤベエに向かって言った。
「すいません、ヤベエさんですよね?私、あなたのドラマや映画をいくつか見たことがあります。」
「なんだ、ただのファンか」と思いつつ、ヤベエは軽く笑顔で会釈した。男は続けた。
「私もさきほどからお二人の話を聞いていたんですが、大変興味深い内容だったのでつい声をかけてしまいました。ところでヤベエさん、『スラムダンク』は知ってます?」
「何ですかそれ?」
「日本でビッグスターになりたいなら、スラムダンクは知らないとダメですよ(笑)。世界中で大ヒットした日本の漫画です。バスケットボールの漫画なのに『後世に残したい漫画ランキング』で1位になったこともあります」
「へぇ、なんか凄そうですね。で、そのスラムなんとかがどうしたんでしょうか?」
「このスラムダンクの主人公チームの監督が年配の安西先生って言うんですが、この安西先生がまだ若い頃、彼のチームでもっとも優秀な谷沢って選手がいたのです。この谷沢がアメリカにバスケット留学に行くエピソードがあります」
「バスケット留学ねぇ」
「谷沢は安西先生の厳しい指導が合わないと感じて、勝手にアメリカに留学したんです。その結果、谷沢はどうなったと思いますか?」
「どうせ漫画でしょ。・・・で、どうなったの?」
「谷沢はアメリカまで行ったのに、全く成長してなかったんです。しかも彼はその後事故死した」
「死ぬのかよ!」
「しかし死ぬ前に、谷沢は安西先生に手紙を書いていたんです。内容を簡単にいうと、アメリカにわたったことへの後悔のような手紙でした。
そしてその手紙の最後は、こう締めくくられていたんです。
『バスケットの国アメリカの、その空気を吸うだけで、僕は高く跳べると思っていたのかなぁ…』」
一通り漫画の話を終えたヒゲに、ヤベエは言った。
「で、俺がその谷沢だって言いたいわけか」
「いや、谷沢以下ですね。谷沢の留学は失敗したとはいえ『バスケットを上達させる』という明確な目的を持ってアメリカに渡ったのです。
しかしヤベエさん、あなたが言ってることは、つまりこうです。
『アメリカに行ってNBAのプロバスケット選手になりたいんですが、最終的にはメジャーリーガーにもなってMVPも取れればいいなぁと思ってます』」
ヤベエはそのオチを聞いて、ようやくこのヒゲ男が本当に言いたいことを理解した。ヒゲ男の顔をよく見ると、軽くニヤついているように見える。
突然の失礼な“来客”にさすがにムッとして、殴ってやろうかと考えていたとき、ヒゲ男側のテーブルにいた連れ合いの男が、ヒゲ男の腕を引っ張った。
「すいません、こいつ酒が弱いくせに今日はだいぶ飲んでるんです。失礼しました。」
連れ合いの男はそう言うと、ヒゲ男を自分たちのテーブルに引き戻した。そしてヒゲ男に言った。
「…おい!明日も練習で早いんだから悪酔いすんなよ!もう帰るぞユウタ!」
二度目の“来客”が帰ったあと、 度重なる訪問客にうんざりしたのか、ヌエロもタバコに火をつけて、ヤベエに再び話かける。
「あのヒゲだいぶ酔ってたけど、言ってることは的を得てる気がするな。実際にそんな奴がいたら、どう思うよ」
「まあ・・・痛い奴だな」
「だろ?」
「ヌエロ、お前が言ってることはよくわかる。だがな、俺が日本でビッグスターになりたい気持ちは変わらないわ。これは前から思っていたことだから」
ヌエロはその言葉を聞くと、タバコを灰皿に入れ、立ち上った。そして無言のまま、トイレの方向に歩いていく。
数分後、ヌエロが戻ってきた。再びヤベエの前に座ると、彼は言った。
「今の仕事を全部捨てて、日本に行くんだっけ?」
ヤベエは軽くうなずいた。
それを見てヌエロは再度腕組みをし、下を向いてしばらく何かを考え込んでいた。
しばらくして、ヌエロは諦めたように口を開いた。
「・・・わかったよ。どう考えても俺には無謀なチャレンジにしか見えないし、お前はとんでもない馬鹿の可能性が高い気がする。いや、きっととんでもない馬鹿なんだ。」
ヤベエは自分がバカにされたのかと思い、一瞬怒るような表情をしてみせた。ヌエロは気にせず続ける。
「しかしな、一方で順調に行ってる仕事をすべて捨ててまで、海外でチャレンジをしようなんて、そこまで思い切れる奴もそういない。 少なくとも俺は聞いたことがない。」
ヤベエは黙って聞いている。ヌエロは続けた。
「お前はたぶん馬鹿なんだが、ここまで馬鹿だと、逆にとんでもない大物の可能性も、わずかながらあるような気がしたんだ。本当にごくわずかだけどな(笑)」
「お前、応援してるのかけなしてるのか、一体どっちなんだよ」
ヌエロは続けた。
「それにな、日本に行ってみることで、現時点では予想もできない出来事に遭遇して、そこから道が開けることもあるんじゃなかろうか」
「たとえば?」
「『たとえば?』って、『予想もできない出来事』なんだから例えなんて出ねーよ。ただな、ノープランで行ってみて、初めてそこでいろいろ気づいて、想定外の道が開けることがあるかもしれない」
「そんな都合良く行けばいいけど」
「お前が言うな。とりあえず、俺はお前のやろうとしていることは馬鹿だと思う。さっきの金髪じゃないけど、日本を舐めてる気もする。
でも、そんな馬鹿なことをやろうとしてるお前がやっぱ好きだし、それがお前の本当にやりたいことなら、気持ち良く見送ることにするよ。行って来い、日本。 」
そう言うとヌエロは右手を上げ、ヤベエに向かってバイバイをする仕草をした。
「ヌエロにそんなふうに応援してもらえると、日本で頑張れそうだよ」
ヤベエがそう言ったのを聞いて、ヌエロは答えた。
「まあ向こうに行ったら行ったで、必ずいろんな大変なことに遭遇すると思うよ。
そう考えると、もし今、お前が仮にお笑い芸人でさ、日本に行って『K国から来た外国人』として芸人やりながら、なぜかトップ俳優を目指すっていう逆のパターンだったら、もっと面白かったかもな。」
「ん?なんで?」
「だって芸人なら、失敗してグチャグチャになって帰国しても、おいしいネタになるじゃん(笑)」
ヌエロはニッコリ笑ってそう言うと、ヤベエに向かって指を2本立てるサインをして見せた。
それは日本で「ピース」と呼ばれるサインだった。使い方が少し間違っていることには気づいていない。
「おいおい、失敗する前提かよ。でもほんとに・・・」
ヤベエは何か言い返そうとしたが、ヌエロの気持ちが嬉しくて目頭が熱くなり、言葉に詰まってしまった。
反射的に、今の気持ちを伝えようと彼が知っている数少ない日本語の1つをヌエロに向かって言った。
日本語のわからないヌエロは、ヤベエが発する耳慣れない単語を聞いて、少し間違ったピースをしたまま、笑顔で軽く首をかしげていた。
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