- 2013-10-27
- 元アメブロ記事(13年2月~14年5月、修正中), 効率的な勉強法~基礎編~, 授業・予習・復習ノウハウ
こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
このブログを読んでいる方の多くは、学校や塾・予備校に毎日のように通っておられると思いますが、そもそも学校も塾も何を目的にして行くのかと言えば、ようは「授業」を受けに行くためです。
そうやって毎日たくさんの授業を受けていると、その授業を中心に生活サイクルが回っていくようになるので、気づかないうちにいつのまにやら、勉強というのは「授業がメイン」のような感覚に陥りやすいです。
ところがこの感覚が強い人ほど、受験で失敗する可能性が高くなっていきます。
当然ですが、授業では先生の話を50分とか90分といった間ずっと聞き続けるわけですから、授業が終わったらそれなりに「勉強した感」を感じます。新しい知識もインプットされますからね。
しかし、授業を受けただけで「勉強した感」を持ってしまっている人は、とても危険なのです。その時点で満足してしまいやすいから。
一通り先生の説明を聞いたことで、一応その分野を勉強した感じがする、その「一応」ってところが大変危ないわけであります(-_-)
なぜなら、勉強というのは自学自習(とくに復習)によって完成するものだからです。授業というのは「復習とセット」ではじめて成立するわけですね。
そしてここまでは理解できている人でも、「授業」と「復習」の重要性でいうと、なぜか「授業の方がメイン」で「復習はサブ」みたいなイメージを持っている人が少なくありません。
「なぜか」と書きましたが、理由はほぼ決まっていて、学校の先生があまり「復習の重要性」を強く強調・解説してくれないことが多いからです。
あなたが習っている学校や塾の先生を振り返ってみて、どうでしょうか?
「授業」や「予習」の重要性を強調する先生はいても、それ以上に「復習」の重要性をくどいくらいに強調する先生は、どれくらいいますか?
もしあなたの周りにそういう先生がたくさんいたら、とても素晴らしい学校・塾だと個人的には思います。
私も高校・浪人時代には数え切れないくらいたくさんの学校・塾・予備校の先生の授業を受けましたが、「予習」や「授業」の重要性を強調する先生は大勢いても、その2つ以上に「復習」の重要性を強調している先生は非常に少なかったです。
そうなってしまう理由は、先生の最大の仕事が「授業」をすることだからです。いかにわかりやすい授業を展開できるかが、先生の勝負どころなのです(とくに予備校はそう)。
もちろ先生は他にも諸々の仕事をされているとはいえ、先生にとっては授業の品質こそが存在意義を求められる部分であり、最大のやりがいを感じる瞬間でもあることは疑いがないかと思います。
先生になる人というのは大半が「授業をしたい」から先生になるのであり、テストの作成・採点や雑務をやりたいから先生になったなんて人はほとんどいないはずです(私が塾講をやっていたときもそうでした)。
必然的に授業には力が入りますし、自身が力を入れている(もっと言えば一生を懸けている)「授業の重要性」と、その授業を理解しやすくする「予習の重要性」を強調しやすい傾向になるのは、ある意味で自然な流れともいえます。
結果として、先生というのはその立場上、「授業の重要性」を強調することはあっても、「授業の重要性」はそこまで高くないと生徒に伝えること(つまり授業よりその後の復習・自学自習がメインだと言うこと)は、心情的にもポジション的にも出来にくくなる傾向が強いのです。
しかし、何度もいいますが、勉強というのは授業のあとの「復習」「自学自習」なしには完成しません。
「授業」と「復習」はどちらがより重要かという話になれば、細かい個々の状況はさておき、一般論で言うなら「復習」です。
授業というのは、あくまで1人で独学するのが難しい「1回目の勉強」の理解を助けてくれるもの。
したがってその重要性は高いと言えますが、「1回目の勉強」と、その後の「完璧に覚えるための復習」のどちらがより重要かという比較になれば、これはもう後者と考えた方が理にかなっているのではないかと思うのです。
だから先にも書いたとおり、授業や予習の重要性よりも「復習の重要性」をしっかり解説している先生は、ご自身のお立場を越えて生徒の実力向上を真剣に考えているいい先生ではないかと推測できます。
最後にまとめとして私の本音を書きますが、もし先生を職業にされている方がこれを読んでいたら気を悪くしないでくださいm(_ _)m。
勉強における「授業」の位置づけとしては、まずそれ自体が勉強のメインにはならないのは上記の通りです。
もし授業がメインなら、授業を受けただけで勉強の8割くらいが終わったと錯覚してしまう生徒が出てもおかしくありません。で、そういう錯覚をしている生徒は、必然的に復習も自習もあまりやらなくなると。
皮肉な話ですが、とくに教え方がうまい先生の授業ほど、その授業を受けて満足してしまいやすくなります。
これでは本末転倒なわけですね。こうなったのは、前提として「授業がメイン」というイメージを持っているからだと私は思うのです。
このような授業に対するイメージ・位置づけが、勘違いのもととなり、伸びない結果につながっていきます。
だから、そういうイメージではなく、授業というのは勉強の「前説」くらいに考えてみるのはどうでしょうか。
テレビのバラエティ番組には、必ず本番に入る前の「前説」があります。芸人さんや局のスタッフが、本番が始まる前に客を盛り上げて、会場の雰囲気をあたためておくわけです。
その前説があるから、客のテンションも上がり、本番も盛り上がります。前説というのは、本番に入る前の大切な導入タイムなのです。
「授業」というのは、勉強の流れにおいてこの「前説」の位置づけにとても近いです。決して前説というのはメインにはなりませんが、それ無しではメインである本番の効果が半減してしまうわけです。
(なお「前説」が一般的にどんなイメージなのかわかりませんが、悪い意味で揶揄しているとかではないので念のため。あくまで「大切な導入部」という意味での例えです。)
授業を受けながら、「いまオレは、専門の先生から勉強の『前説』を聞いてるんだ」と思えば、授業で勉強は終わりだとは考えなくなります。
あくまでメインは「授業の後」にあるわけです。そのイメージをしっかり植え付けるにあたり、「前説」という言葉はイメージに近くて理解しやすいのではないかと私は思っています。
というわけで、少し長くなりましたが、言いたかったのは、勉強というのは「授業の後からが本番」だということです。
授業はあくまで前説。メインはその後の自学自習、とくに「復習・復習・復習」です。
復習と自学自習こそが、勉強のメイン。この順番をくれぐれも間違えないようにしてほしいと思います。授業を受けた時間をムダにしないためにも。