- 2016-7-12
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こんにちは、中西です。
前回は、
「18歳で大学受験をする意味」
について考えてみました。
ついでなので、この流れで受験について
もう少し突っ込んで考えてみたいと思います。
今回は「大学受験」と「高校受験」の
違いを比較することで大学受験の意味
を考えてみましょう。
「大学受験」と「高校受験」は、何が違うのか。
細かい制度の違いは当然ありますが、
もう少し本質的な部分で考えたときに、
私は両者には大きな違いが1つあると
考えています。
それは、高校受験より大学受験の方が
「シンプルな動機付けだけでは
モチベーションの維持が難しくなってくる」
という点です。
高校受験というのは、
「高校に行くために勉強を
やらなければいけないんだ!」
という周りの雰囲気や周りからの強制力
だけでも、乗り越えることができます
(全員とはいいませんが一般的に)。
志望校を決めるにしても、偏差値や校風
などからわりと単純に「なんとなくあの
高校が良さそうだ」というくらいの、
抽象的なレベルで決めていることが
少なくありません。
あるいはもっと単純に、「周りの友達
(ライバル)に負けたくない!」という
競争心で受験勉強ができたりします。
そんな感じで全体的に“シンプルな動機付け”
でも受験勉強に取り組めるのが高校受験です。
高校受験はそれでもほとんど問題にはなりません。
ところが大学受験は、このレベルの動機付け
ではモチベーションが得られなくなることが
多いのです。
なぜなら、「自分自身」や「自分と社会の
関わり」について、高校受験の時とは比較に
ならないほど関心が深まっているからです。
「自分とは何なのか」
「自分の人生をどう歩んでいくべきか」
「自分はどういう方向(分野)で
生きていくべきか」
「日本の社会は問題だらけだ!」
「社会とこう関わっていきたい
(貢献したい、仕事がしたい)」
・・・といった形で、中学を卒業して
からの高校生活の中で、自分自身や
社会に対する意識が一気に深まっていく
のがこの年代なのです。
だから「自分は何を学びたいのか」に
ついて高校受験よりずっと深く考える
ようになりますし
(学部選びをする必要性に迫られて
という部分もありますが、それだけではなく)、
志望校選びにおいても高校受験よりも
ずっと詳細に突っ込んで調べます。
志望校への愛情が強い人が多いのも、
圧倒的に大学受験です。
その大学・学部に入ることで、自分は
社会とどう関わっていくかを(程度の
差はあれ)考え始めるようになります。
そういう感じで「自分自身」や
「自分と社会との関わり」について、
大学受験は、高校受験のころとは比較に
ならないほど意識・関心が高まっている
時期なのです。
よって、この時期に高校受験のような
シンプルな動機づけだけでは、うまく
行かなくなる可能性が高いです。
私が便宜上作成した
「集中力ピラミッド」
の中にある、ピラミッドの一番下の
土台となっている
「モチベーション」
というのが、その「動機付け」の部分
にあたります。
▼図解「集中力ピラミッド」
▼記事:「集中力」「やる気」「モチベーション」の違いがハッキリわかる基準
勉強の集中力は、ピラミッドの土台の
「モチベーション」がグラついていると
高めることができません。
ときどき
「勉強するのに目標なんかいらない」
といった意見を“中高生向けの話”として
一くくりにして言っている人もいるのですが、
それは高校受験と大学受験における
上記のような年齢による意識の違い・変化
を考慮していないように思われます。
私は大学受験の年齢でごく“シンプルな動機
付け”のみで受験勉強をしてしまった人は、
入学後に高い確率で自分の生き方や進路に
ついて悩んだり迷走することになると思います。
もちろん、大学入学後も誰もが進路で悩むこと
にはなりますが、深く考えずに大学に入学
した場合は、その悩みはあとになってより
その深さが増して現れてくるわけです。
「自分自身」「自分の進路」
「自分と社会との関わり」
といったものは、大学受験の時点で
「正解」や「最終的な結論」に到達する
ことはまずありえません。
が、少なくともその時点で
「自分はこっちの方向を目指そう!」
という
“とりあえず現時点で自分に
合っていると思われる方向”
を決めておくのが何より重要なのです。
それこそが、高校受験ではあまり必要
なかった種類の、大学受験における
“モチベーション”になります。
それではまた。
「背負う覚悟の分だけ可能性を手にしている」
浜崎あゆみ(Surreal)