- 2021-6-10
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こんにちは、中西です。
昨年のコロナ発生から全国の学校でオンライン授業が展開されていますが、これについては色々と問題が指摘されてきました。
特に大学に新入生として入学したのに友人たちとの交流が全くできない問題や、
学校に行けず施設も利用できないため実質的に通信教育のようになっているのに、通常授業と同じ学費を払うのは納得いかないと言う問題が上がっていました。
この学費問題について、ついに生徒側が学費の返還を求めて大学を提訴する案件が発生しました。
学生が提訴したのはこれが初めてですが、学費返還運動は全国各地で起こっているようで、しかしながら学費が返還された事例はまだ1つもないようです。
この問題について、大学ジャーナリストの石渡嶺司氏が以下の見解を述べておられました。
『コロナ禍で大学は「対面授業はできるだけしたい」「もし、感染者が出て批判されたらどうしよう」という2つの思いで苦しむことになりました。
特に教員や学生・卒業生から感染者を出した大学は、一時、バッシングされました。
この様相をみて、対面授業はずっと取りやめる大学が続出したのです。』
要するに大学は対面授業をしたいと考えているにもかかわらず、感染者が出てしまって世間からバッシングされることを恐れているわけです。
まぁこれは大学に限らず、日本中の多くの学校・企業・団体・組織が同じような
「世間からバッシングされたら怖い」
と言う理由で、この全体主義の同調圧力に屈しているところが非常に多いのです。
これについて個人的な意見を言わせてもらうと、イメージが重要になる有名人や人気商売・客商売の企業ならまだしも、
「学問をする=真実を追究する」
ことが目的であるはずの大学が、世間の同調圧力に屈していると言うのは、あまりにも事なかれ主義で、大学としての気概を失っているようにしか思えません。
そもそも若者がコロナに感染したところで死者は出ないわけですから、コロナに関する各種データを集め、分析し、その分析結果をもとに、
「データではこのようになっているため、これについて私たちはこのように考えております。
従いまして、私たちの大学は適切な対応を取った上で対面授業を行うのであれば、コロナに関するリスクは極小で抑えられると考えます。
自粛により学生が一生に1度しかない貴重な学生生活を奪われるリスクの方が、わが大学及び日本の未来にとって甚大な被害を被ると当大学では考えております。
様々なご意見があるかと存じますが、当大学はこのようなスタンスで対面授業を行っていきますので、何卒ご理解いただけますと幸いです」
…と公式に見解を発表すればいいだけです。
それで文句を言う連中がいても、自分たちは事実(データ)をもとに自分たちのあり方を考えた結果の判断であるわけですから、全く無関係な「世間」とやらに文句を言われる筋合いは無いはずです。
何の分析もせず、調べもせず、マスコミの煽りを真に受けてフィーリングだけで物事を判断し、他人を中傷しているような全国のコロナ脳のバカたちに怯える必要など無いのです。
まさに今こそ、真実を追求する大学の本領を発揮すべき時のはずです。
が、現実は「世間の批判を受けても自分たちの考えを主張し、正しいと考えることを貫き通す」と言う、この程度のことすらできない大学だらけになっています。
真実を追求する組織なのに、あまりにも落ちぶれすぎじゃないでしょうかね。偉そうな言い方で申し訳ないですけど。
一方で、非常に少数派ではありますが、上記のような世間の思考停止した空気を読むのではなく、
自分の頭で思考して、何が正しいかを見極め、
自分が正しいと考える教育のあり方を実行しようとしている人もいます。
例えば京都大学の藤井聡教授です。先日、ラジオで
「コロナ禍で教育現場が危機的状況になっている!このままでは未来に禍根を残す!」
と強く訴えておられました。
この放送回は、特に高校生や大学生は聞く価値が非常に高いので、ぜひ聞いてみてください。
大学と言う存在が、若者にもたらす価値(の一部)がよくわかる内容になっています。
▼未来への巨大な禍根:コロナで失われる若者の『教育機会』
[2021 6 7放送]週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ(KBS京都ラジオ)
実際、藤井教授は京都大学の学長に対面授業をするように訴えておられたようですが、学長が世間のバッシングを恐れて却下されたそうです。
京都大学ですらこの有様だと言うこと。
この若者の学校現場における教育機会が失われる損害は、今すぐにわかりやすい損害が出るものではありませんが、
数年とか5年10年と言う単位で見たときに、とんでもない損害を出していることが判明してくる類のものだと思われます。
冒頭の明星大学の学生も、大学に入学してから1年以上経つのに、まだ1度もしっかりと友達と交流できていないそうです。
明星大学側の見解を見ると、一応交流会のようなものはこれまで2回あったらしいですが、おそらくそのような2回程度の交流会では、
友人関係や人間関係を培っていく要素はほとんど得られないでしょう。
明星大学の学生の訴えが妥当かどうかは正確には分かりませんが、少なくとも間違いなく言えるのは、
【 戦後初めて「大学の存在意義」が根本から問われている 】
と言うことではないかと私は考えています。
もともと緊縮財政によるデフレのせいで、大学に進学する意味・メリット・存在意義がかなり怪しくなっていたわけですが、
コロナによってオンライン授業になり、大学に通学することもできなくなったことによって、
「何のために高いお金を払って大学に行く必要があるのか」
「大学に行くメリットは何なのか」
と言うことが、図らずも根底から問われる状況になってきたと思うのです。
よく危機的な状況や非常時にその人の本質が現れると言いますが、
大学もこのコロナと言う「非常事態」の襲来によって、その本質があぶり出され、
存在意義が曖昧なまま長年運営されてきたツケのようなものが、ここに来て一気に明らかになってしまったのかもしれません。
学生とは言え「時代の影響」を大きく受けるわけで、私の世代も就職氷河期の影響を大きく受けて、ロスジェネ世代だとか不運な世代だとか言われていますが、
世代によって大学から受ける恩恵や、就職からその後の生き方までが大きく違ってしまうのは理不尽だとは思います。
一方で人間社会と言いますか、人生と言うのはそもそもそういうものではないかとも思います。
「どこの国に生まれるか」によって運命は大きく変わりますが、
「どの世代に生まれるか」によっても運命は大きく変わってしまうと言うことです。
もちろんそういう格差が生じないように特に政府は政策を行っていかなければならないわけですが、
個人ベースで見たときには、ある程度運命に対する諦念(いい意味での開き直り)も必要だと思います。
いずれにしろ間違いないのは、たとえ不遇な世代だったとしても、愚痴や文句だけ言っていても何も解決しないので、
結局のところ、その状況から自分の人生をどのように充実させていくかを、既存の常識や世間の価値観をあてにせず、
自分の頭で考え、自分で判断し、自分の責任の下で行動していくしかない
と言うことではないかと、経験上思います。
あと思いつきで募集しますが、もし読者さんで、
「自分の学校はこんな状況ですよ!」
「今の学校の状況をこんなふうに感じてます!」
「周りにはこんな人が多いです!」
みたいな具体的な状況を教えてもいいよ、という方がいたら、よかったら私に教えてください。
学校や学生さんの具体的な状況がわかれば、内容は特に問いません。地味な内容でも全然OKですし、案外楽しくやってます!とかでもいいです笑
このメールに返信する形で届きますので。(全員に私からお返事はできないと思いますが、すべて必ず拝読します)
後日、個人名は伏せてこのメルマガで紹介させていただくかもしれませんので、その点も了承いただける方のみお願いしますm(_ _)m
それではまた。