- 2012-8-2
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こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
受験勉強においてはほとんど問われませんが、
社会で生きていく上で、どんな職業についたとしても
大きく問われるのが
「コミュニケーション能力」
です。
これはもう下手をしたら「重要」というレベルではなくて、
これの有無だけで社会で生きていく上での
すべてが決してしまう、
といっても全く大げさではないくらいの、
世の中で生きてく重要なカギを握っています。
以前、私がライターをしていた頃に
NHKなどの各種メディアで取り上げられたことのある
ある有名な就活業界の若手ビジネスパーソンの方を
取材させて頂いたことがあるのですが、そのときに
「『コミュニケーション能力』という言葉ほど
定義があいまいな言葉もないです」
とおっしゃったのがすごく印象に残っています。
これは、「コミュニケーション能力」という言葉が不要だということではなしに
逆に生きていく上であまりにも重要なものなのにもかかわらず
定義自体があまりにも不明確、
という点を、その方は指摘されたのだと私は解釈しています。
たしかに、「コミュニケーション能力」というのは
もういろんな角度から解釈できる、
無限に奥が深いものなのです。年々それを感じます。
私自身も、コミュニケーション能力については
随分と自分なりに色々と考えてきましたが、
ここで一旦結論だけ書いてしまいますと、
結局、私が現時点で行き着いた
「コミュニケーション能力」というものの定義は、
【 相手の気持ちを察する能力 】
だということです。
「コミュニケーション能力が高い・低い」という言葉もよく聞きますし、
いろいろ細かい技術的な要素もあるのですが、
究極は「相手の気持ちを察する力」なのではないかな、と。
その力があれば、技術的なことなどはあとからついてきます。
逆に、たとえばめちゃくちゃ口達者で、
誰とも臆せずにベラベラとよくしゃべる
「コミュニケーションの達人風」
にいっけん見える人もよくいますが、
相手の気持ちを察することができずに、
ただうまいこと話をしているだけの人は
私は「コミュニケーション能力が低い」と思います。
受験勉強ばかりしていると、
技術的なコミュニケーション能力は劣化しがちですが(笑)
今はそういう時期なのですから、
別にそこはあまり気にする必要はないかと思います。
そして、もしいま自分のコミュニケーション能力にあまり自信がないという人は、
べしゃりの技術的なことを考えるよりも、
「相手の気持ちを察する」
ことに注意を向けてみてください。
それができる人は、多少口下手でも、
多くの人と良好な人間関係を築いていくことができます。
逆に相手の気持ちを察することに欠けた人は、
コミュニケーションが砂上の楼閣みたいになっていて
コミュ二ケーションをいくらとっても
相手との距離は何も縮まりませんし、何も伝わりません。
相手の気持ちを察して配慮出来る人、
そう言う人が本当の意味での
「コミュニケーション能力が高い人」
だと私は思います。