- 2013-8-8
- 元アメブロ記事(13年2月~14年5月、修正中)
こんにちは!早稲田集中力研究会の中西です。
現在、OCP(受験勉強オンラインコーチング・プログラム)には大学受験生と資格試験の受験生の方々がおられますが、
数日前に、資格試験のある女性2人のやりとりを見ていて、その話の内容のレベルの高さに感心したことがあります。
このブログの読者さんにも参考になるかと思いましたので、以下にそのやりとりの一部を抜粋してシェアします。
以下、やりとりの途中からですがどうぞ。
————-ここから———————
【Aさん】
他人の夢を応援できるって、実はすごいことだと思います。
自分の夢までの道のりが長いと、焦ってしまって、他人の幸せを願えない気持ちになるときがあります。
(中略)
自分が頑張っている姿をただ見せるだけでも、応援になるんですね。
【上のAさんのコメントに対するBさんの回答】
私が他人を応援する時には「見本・信頼・支援」をモットーにしてます。
例えば、「日本一の営業マン」になりたいという夢を持った人が手始めにマクドナルドでバイトを始めたとする。
ある店舗の店長は店の売り上げを伸ばすために、接客のイロハをバイトくんに教える。笑顔の接客。手早い仕事手順。
一方、ある店舗の店長は毎日、自ら弾けるような笑顔で接客する。率先して人が嫌がる仕事をする(見本)。バイトくんの夢に共感する(信頼が生まれる)。
(中略)
人は、信頼した人からの言葉は深く受け止めます。
信頼されるためには、自分自身が動かなければならない。
教えるのではなく、日本一の接客とはこういうものだというのを自ら見せていく。
人間関係ができ、信頼が生まれて初めてちょっとしたアドバイスをする。
すると、バイトくんはイキイキと働くようになり、店の売上げも上がることになる。バイトくんの当初の目的にも叶う。
初めの店長は店の売上という自分の利益を考える。後の店長は「バイト君の夢を応援するため」に行動する。
どちらが功を奏するかは一目瞭然。
なので、他人の夢を応援するのは、自分自身への挑戦でもあるんです。どこまで本気の見本を見せられるか。
————-ここまで———————
ちなみにAさんはある技術の習得を目的に、Bさんは弁護士の資格をとるためにOCPに参加されている方ですが、
何を目指しているかはそれぞれまったく違っても、OCPは勉強の本質部分(目標→計画→実行)を基準に設計されたプログラムなので、
目指すところは違ってもこういう交流が頻繁に行われているわけです。
それにしても、OCPメンバーはやりとりのレベルや意識の高い人が本当に多いなと毎日感じています。
大学受験生たちも、当然上記のようなやりとりを見ることができるので、目指す目標を越えて、毎日いい刺激・いい影響を与え合うことができるわけですね。
上のやりとりでは、「人は信頼できる人の言葉であれば、その言葉を深く受け止めて、納得して動く」という話をされています。
それはつまり、誰かを応援しようとするなら「信頼される自分」にならないといけないわけで、結論として
「他人の夢を応援する」=「自分自身への挑戦になる」
ということを、おっしゃっているわけです。・・・すごい話ですね。もうとっくに私のレベルを超えております(笑)
実は、今回この話をご紹介したのは、あなたの今のその頑張り・挑戦も、必ず誰かを勇気づけることにつながることをお伝えしたかったからです。
とくに大学受験生の方は、「なんだ、資格試験の人の話か」なんてくれぐれも考えないでくださいませ。私はむしろ、大学受験生に聞いてほしくてこの話を書いています。
「いや~中西さん、僕の頑張りなんて、誰も見てませんし、誰も勇気づけたりしませんよ」
今、もしあなたがそう思ったとしたなら、それは少し想像力が欠如してしまっているかもしれません。
たしかに、人間関係や勉強している環境によっては、あなたの頑張りなんて誰も見ていない場合もあるかもしれませんが、それはあくまで「今」に限定される話です。
でも実を言うと、「今」のあなたの頑張りが、「未来」の誰かを勇気づけることもあるのです。
あなたも「合格体験記」に勇気づけられたことがあるかと思いますが、これなどもその典型。時間軸の観点でいえば、
合格した先輩の「過去の頑張り」に、あなたが勇気づけられた
ということになります。つまり、「合格体験記」というのは、1年~数年もの時間を超えて、人が人に勇気を与える読みものということなのです。
場合によっては、5年~10年くらい前の先輩に、勇気づけられることすらあるわけです。これはすごい話だと思いませんか。
その先輩は、はたして受験生時代に、自分の頑張りが5年後10年後の後輩を勇気づけることになるなどと、気づいていたでしょうか。
これは見方を変えると、あなたの「今の頑張り」というのは、時間を飛び超えて「未来の誰か」を勇気づける可能性を秘めている、ということ。
だから、今あなたが誰かを直接勇気づけていなくても、あなたの今の頑張りは、
合格後に体験記に書くなり、後輩に話すなり、弟・妹・親戚の年下の子に話すなり、
家庭教師や塾の先生になって生徒に話すなり、子供ができたときに息子・娘に話すなり、ブログに書いて見知らぬ受験生に読んでもらうなり、
・・・・といった形で、その今の頑張り・挑戦は、いつか必ず「未来の誰か」を勇気づけることにつながるのです。
そういう機会は、必ず訪れます。その体験を内緒にして、墓場まで持って行こうとしない限り(笑)
だとすれば、あらためて違った意味で、受験勉強へのやる気がわいてきませんか?
先日も言いましたが、人は「人の役に立てる」という部分があると、より頑張れる生き物です。
受験は「自分のため」にやるのは大前提ですが、そこに「誰かの役に立つ」というミッションも持たせると、さらにやる気がわいて出てくるものなのです。
あれだけ過酷な練習をしているスポーツ選手たちが、「自分一人のために」頑張るのではなく、
よく「チームのため」「コーチのため」「応援してくれるファンのため」「家族のため」というふうに、
「○○のために」という形で意味を見つけているのも、「誰かのためになっている」という意識がないと、人間は持てる力を極限まで発揮するのが難しいという、一つの証左なのです。
というわけで、自分のために頑張るのはもちろんのこと、あなたの「今の頑張り」は、いつか何らかの形で「未来の誰か」を勇気づける日が必ず来ますので、
「未来の後輩受験生たちの心に、俺(私)が火をつけてやるぜ!」
ぐらいの意気込みで、後日多くの後輩たちがあなたの話に勇気づけられている場面をイメージしながら、今、エンジン全開で頑張るという考え方もあるわけですね。
P.S
今回の話を聞いて「今の自分は、そういうこと(誰かのためにということ)は勉強のモチベーションにはならない」と感じるのであれば、それはそれで全く問題ないです。そこに罪悪感を感じる必要もまったくありません。
私が今回この話を書いた理由は、受験には上記のような側面もあるということを、気づいていなかった方に、一つの事実としてお伝えしたかったからです。
それに気づくことで受験勉強にもう一つの意味を見い出し、これまで以上に、さらなるやる気を手に入れる受験生もいるからですね。
ただ、あなたにはそれが当てはまらず、もっと別のことが最大のモチベーションになるなら(たとえば、上の話とは全く逆の「誰かを見返してやる系」の憎悪的エネルギーなど。こちらにも書きましたが→「お前を見返してやる!憎悪エネルギー集中法」 )
あなたにとって勉強のモチベーションが高くなる目標のほうを重視すればOK。今一番大事なのは、合格するために最大のモチベーションを手に入れることですから。
このブログのすべての記事がそうですが、自分に当てはまらない内容だったなら無視してかまいませんからね。無理に当てはめようとする必要は全くナシ。
あくまで一番重要なのは、あなたが受験で合格する確率を高めること。私はブログを書くとき、そのことしか頭にありません。
今回の話も、そのためのヒントの一つですね。