- 2024-1-12
- その他・雑談
こんにちは、中西です。
今年はまだ10日ちょっとしか経ってませんが、年の初めから国内がとんでもないことになっております。
1月1日の能登大地震、2日の日航機と海保機の飛行機事故、3日の山手線内の女性通り魔事件、
4日の篠山紀信さん死去を始め、八代亜紀さん・中村メイコさん・冠二郎さん・坂田利夫さん(年末)らの死去
「自民党の裏金問題」と言う国民にとって極めて重要な大事件が霞んでしまうほど、次々と様々な不幸が年始から発生したわけですが、
以上に加えさらなる衝撃が走ったのは、
1月8日の松本人志さんの突然の芸能活動休止
でした。これも日本中に衝撃を与えました。
ただ、この件は私の中でどうも世間一般に認識が広がっていないと思えることが複数あったので、それを取り上げて解説してきました。
ポイントだけおさらいすると、以下の通り。
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①突然、芸能活動を休止した理由
→最新の文春砲でお礼LINEでは状況が覆らず、大阪と福岡のパーティも暴露され、自分の全番組のスポンサーが一気に消えると彼は判断したため、自らのプライドとして
「テレビ局から全番組を降板させられる屈辱を味わう前に、自ら降板する」
ことを選択した。
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②ワイドナショー出演見合わせの理由
→芸人はテレビ利権のヒエラルキー(お金の支払いの流れ)の最下層であり、吉本興業の社長より上の立場にいる松本人志と言えども、お金を払っている側のテレビ局やスポンサーに逆らえない。
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③松本人志は事実上の引退。ダウンタウンはこれで見納め。二度とテレビ復帰は無い。
→ 5人以上の女性の証言と複数の証拠により「真実相当性が高い」と裁判でみなされる一方、同意があった証拠を出すのは極めて困難なため、裁判は確実に負ける。この裁判に負けてテレビ復帰はありえない。
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④ ここで引退となる理由は
1.松本人志は裁判で勝てない
2.奇跡的に裁判で勝ってもスポンサーが許さない
(既婚で常習的かつ半ば強制的な環境を作り出した上での性行為という点は覆らないため)
3.奇跡的にスポンサーが許しても、その頃65歳近くで本人のモチベーションがもはや無い
(そもそも60代での引退を強く望んでいた)
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・・・こんな感じでした。
実は、もう一つ気になっている点がありまして、今回の件を
「芸能人を見る目が厳しくなってきた」
という趣旨で解釈してる人が多いのですが、それは少し違うと思います。
芸能人が厳しい目で見られるようになってきていますが、この背景はそもそもどこにあるかと言うと、
【 海外で企業のコンプライアンスが厳しくチェックされる時代になっている 】
という点です。世界的に企業がコンプライアンスを守ることが強く求められるようになってきたのです。
国内だけでビジネスが完結している企業は別ですが、海外と取引する大企業等は、この海外のコンプライアンスの基準でビジネスをしていく必要があります。
その基準が、国内でのビジネスにも当てはめられるようになった結果、まず海外取引のある国内の企業がコンプライアンスに厳しくなったわけです。つまり、
【 聖人君子を求められるようになったのは、芸能人ではなく、まず企業だった 】
ということ。
ところが、企業≒スポンサーが聖人君子を求められるようになると、スポンサーからお金をもらっているテレビ局も、その
「聖人君子の基準に合わせた番組作り」
をする必要が出てきます。
結果として、テレビ局からお金をもらっているタレント・芸人たちも
「聖人君子の基準に合わせた言動」
を取ることが、一定以上求められるようになってきたということです。
その流れの中で、松本人志さんの今回の性加害問題が発生したわけですから、この全体像を踏まえて考えれば、彼が引退せざるを得なくなるのは必然ということです。
※↓の方向にお金が支払われる
一般の消費者(≒視聴者)
↓
スポンサー企業
↓
テレビ局
↓
芸能事務所
↓
タレント・芸人
(下側は上側には基本的に逆らえない)
実は、上記の流れを見れば、スポンサーから下に位置する組織は「聖人君子の基準」が求められますが、唯一それが直接的に求められないのは、
一般の消費者=一般人ということになります。
一般人が1番気楽であり、松ちゃんのようなエグい遊び方をしたい目的でテレビに出て有名人になろうとするのは、非常に悪手だと思います。
その意味で、立川志らくさんが投稿してバスっていた松ちゃんへの応援メッセージは、非常にずれていると思いました。
内容は、「芸人は非常識であることこそが、芸の肥やしになる。だから私は松本さんの復帰を信じてます」みたいな話でしたが、
芸人論として単体で語るならともかく、松本さんの今回の件で語る内容ではないと思います。
平たく言えば、立川志らくさんは時代が変わっていることに気づいていない印象です。
あるいは松本さんとの関係から得た利益や恩義が大きすぎて、客観的に状況を見られなくなっている可能性もあります。
いずれにしろ、今回の件の全体像を俯瞰してみれば、「スポンサー企業が聖人君子を求められるようになってきた」と言う時代の変化がベースにあるので、
「芸人は非常識に女遊びをすることが肥やしになる」
みたいな芸人論は、全く別次元の話で(そもそも「性加害の疑惑」ですが)、この意見が15万いいねほどついていたのは個人的にはだいぶ違うかなと。
おそらく松本さんは、この時代の変化は当然理解していたのでしょうが、
この時代の変化に合わせて遊びの仕方も変化させることができなかった、ということでしょう。
若い頃遊び尽くして、プロの女性でもファンでもダメになり、「ファンではない素人」とのみ関係を持ちたい。その欲望を何十年も満たし続けようとすれば、「強要された」と感じる人も出てくるに決まってます。
資本主義社会で成功を収めるだけ素頭の良さがあっても、ある程度教養や生き方や欲望コントロールを、歴史や古典や偉人伝や宗教などから学んでいないと、
「際限なく欲望を満たしまくる」
「生きてる間に全ての快楽を味わい尽くす」
みたいなアホな発想に陥りがちですが、
彼の40代までの言動を見る限り(特に本音を語る放送室など)、そういう思考をしていたのはほぼ間違いないと思います。
残念ながら松ちゃんは、その感じのまま50代を送っていたんだろうなと。
ベタですが、学生時代でも以下くらいは習いますからね。
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盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
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【 訳 】
どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
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風=コンプライアンスかもしれません。
彼ももう少しうまく遊んでいれば、晩節をこんなに濁さずに、
日本中から惜しまれてカッコよく引退することができたはずです。
しかし今回と同様のことを数十年同じ手口でやっていた可能性が高いので(文春以外で実名の証言も複数)、
こうなるのはほとんど必然で、自業自得としか言いようがない気がします。
もう二度と彼のボケも新しいコンテンツも見られないですし、
ダウンタウンとしての2人のやりとりを見ることも二度とありません。
私はまだその現実を受け入れられてないのですが(つД`)、本当に残念でなりません。