- 2021-1-17
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こんにちは、中西です。
1995年1月17日
に発生した阪神淡路大震災から、本日で26年が経ちました。
今の高校生からすると、生まれる7年から10年ほど前の話だと思うので、
私自身も自分が生まれる10年前の話だと「教科書に載っている歴史」ですから、若い人はあまりピンとこない人も多いのかなと思います。
ただこういった大地震というのは今後必ずまた発生しますので、日頃から防災を意識する必要はありますし、
特にこういう日本人にとって忘れてはならない大事な日に、改めてよく考えるのは重要なことだと思います。
私自身の経験で言うと、滋賀県生まれで、当時も学生で滋賀県の実家で暮らしており、阪神淡路大震災の地震の大きさは体感しています。
早朝に経験したことがないレベルのとんでもない揺れが来て、布団から飛び起きました。
今と同じ寒い季節だったわけですが、「 寒いから布団から出られない」など秒も思わず飛び起きたら、 家族全員がそれぞれの部屋から飛び出てきました。
滋賀県は震度5ぐらいではなかったかと記憶してます。
兵庫県に親戚がいたのですが、両親が慌てて電話したら、やはり大変なことになっていたようで、「テレビが落ちて壊れた!」と言っていました。
「テレビが落ちるとかすごいな。兵庫や大阪あたり大丈夫か?」
と思っていたら、朝の情報番組を見ると、当然ニュースでやってるわけですが、死亡者の速報が入らない。
「かなり大きな地震だったけど結局大丈夫だったのかな?」
と思ってちょっと安心していたら、
しばらくして道路や建物やビルが崩壊している映像がどんどん出てきて、街中で火災が大量発生している映像も流れてきて、
亡くなった方も一人二人と増えていき、時間が経つにつれて100人、300人、500人と、とんでもない人数に。
地震発生から何時間も経って、ようやく大変な事態になっていることがわかりました。
その16年後、2011年の3月に私は東京で暮らしていましたが、ここでも東日本大震災に遭遇しました。
今でもはっきり覚えていますが、コンビニの ATMからお金を下ろそうとしていた真っ最中に大地震が発生。
最初地震が起こったとは気づかず、ATM が突然大きく揺れだして、何が起こったのか意味が分からずパニックになりかけたのですが(-_-;)、
10秒ぐらいしたら大地震だと気づきました。
慌ててコンビニの外に逃げたら、その隣のパチンコ屋で昼間から遊んでいたパチンコ屋のカモのオッサンたちも山ほど出てきて、
ふだんは小さめの道なのに、昼間に人が一斉にあふれ出てきて、すごい光景になってました(`ロ´;)
結局私は阪神淡路大震災と東日本大震災の両方に遭遇してしまった形ですが、両方とも被害のひどかった場所からは離れた地域にいました。
直接被害を受けることなく、一方で大地震の恐怖を身に染みて理解することができ、ある意味で幸いだったのかもしれません。
とはいえ日本というのは地震大国・自然災害の国なので、生きている限りそのリスクから逃れることはできません。
したがって日本において暮らす人々にとって重要なのは、一人一人が防災の意識を高めて準備しておくことと同時に、
政府が地震や自然災害に対して国民が防災できるように、徹底的に防災対策を全国に施していかないといけないわけです。
ところが恐ろしいことに、今日本ではそれができなくなりつつあります。
結論から言うと、その原因は「緊縮財政」です。
具体的な事例を挙げた方が分かりやすいと思いますが、例えば昨年の令和2年7月に発生した豪雨は全国に被害を及ぼし、
死者の数は80人を超えていますが、そのうち熊本だけで65人の死者が発生しました。
ところがこれは豪雨による死者ではなく、「緊縮政策による人災」だった可能性が非常に高いのです。
▼【藤井聡】川辺川ダムが「予定通り」作られていれば、死者の多くが「救われていた」はずだ
▼藤井聡/熊本豪雨災害は「脱ダム」の悲劇だ〈川辺川ダムが建設されていたら、ここまでの被害にならなかった〉――文藝春秋特選記事【全文公開】
簡単にポイントだけ言いますと、熊本で完成予定だった川辺川ダムが、2008年に途中で建設取りやめになっていたのです。
建設は7割も進んでいたのですが、当時の熊本県の知事が取りやめにしました。
その理由は、2000年代初頭から広がっていた「ダム不要論」です。
その数年前の97年に消費税が5%にアップして、日本の緊縮政策がどんどん進行していました。
今でこそ国民の数%の人が緊縮政策が明らかに間違いだった・諸悪の根源であることを理解していますが、
当時はとにかくメディアも政治家も「無駄をなくせ!」のオンパレードでした。まあ今でもマスコミや御用学者の連中はそうですが、当時はもっとひどかった。
自然災害大国にもかかわらず「公共事業は金の無駄!」だと政治家が言って、防災の予算を削減して言ったわけです。完全に頭がおかしいやんと。
「コンクリートから人へ」という綺麗ごとを標榜した民主党政権が誕生し、
八ッ場ダムと同時に川辺川ダムの建設事業が2008年に中止されました。
上記の記事から一部引用しますと、
『つまり、人吉市を中心とした球磨川沿岸域の人々の命と財産を守るために、1966年から40年以上の歳月をかけて7割方進捗していた川辺川ダム事業が、
当時の「ダムは無駄だ」という空気に押されて破棄されるに至ったのです。』
・・・これはつまり、
【 「公共投資は無駄だ!」と考える緊縮政策によって、65人の尊い命が奪われた 】
ということです。本来川辺川ダムは2017年に完成していたので、予定通りに完成していれば65人は死なずに済んだ可能性が高い。 だとしたら完全に人災です。
「お金を無駄遣いしてはいけない!」
というのは個人や家計・企業であれば 真っ当な考え方なのですが、
それを「政府の財政政策」に当てはめてしまったことが、全ての恐るべき間違いの始まりだったのです。
個人・家庭・企業の会計と、政府の会計は全く種類が違うのです。 なぜなら前者には通貨発行権がありませんが、政府は自ら通貨を発行できるから。
つまり政府は「公共投資をどんどんやるべき」なのです。
特に日本は災害大国なのですから、日本政府は他の国以上に公共投資を常にやり続けなければなりません。にもかかわらず、
「公共投資は税金の無駄!だから無駄をなくして節約すべき!」
という恐ろしいほど浅はかな考えによって(そもそも税金は財源ではない)、この国は90年代後半から、公共投資の予算をずっと削減し続けてきたのです。
▼参考グラフ【日本の公共事業関係費(政府全体)の推移(単位:兆円)】
国民・政治家の「無駄をなくすべき!」「政府の財源には限りがあるのだから節約すべき!」という無知による間違いを、
テレビのコメンテーターや有識者と呼ばれる人間たちが同調しマスコミで拡散、
元々自分たちの権力欲のために緊縮政策をしたかった財務省はその間違いを指摘せず(嘘を広めた張本人なので当たり前)、
アメリカのゼネコンの日本市場に対する「開放」要求を受け入れ
(要するにアメリカの建設業者にとって、日本の公共投資の予算が削減されることで、自分たちが参入してビジネスが拡大することになり、大儲けできるということ。建設業界に限らず、構造改革や規制緩和の大半がこのパターン。竹中平蔵はその国際金融資本の手先)
こういった様々な利権や思惑や誤解によって、20年以上にもわたり公共投資が削減されまくってきたのです。
結果として日本のインフラはボロボロになっています。
日本中の水道・道路・橋なども高度経済成長期に作ったものが多く、老朽化が激しくなっているのです。
従ってそれの修繕などもしなければならないのですが、政府の緊縮政策はそれを許しません。「お金をたくさん使って無駄だから」というアホすぎる理由で(゚o゚;)
そしてこの90年代後半以降の「国民を本当に殺す狂いまくった緊縮財政」がスタートしたのはいつか?
それが1995年なのです。
1995年の武村正義大蔵大臣による「財政危機宣言」から、
90年代後半から今に続く緊縮財政がスタートしました。
(厳密に言うと1982年の鈴木義幸首相による「財政非常事態宣言」もあるのですが、そこから10年ほどバブルで景気が良かったので、
現在の緊縮政策によるデフレの被害が発生したのは、1995年の武村大臣の宣言から、と考える方が妥当ではないかと)
何が情けない(というか悲しい)かと言うと、この武村正義氏は滋賀県出身で元滋賀県知事であり、私自身は学生時代ちょっと憧れていたぐらいだったのです。
武村氏は東京大学教育学部出身なのですが、受験の時に滋賀県の永源寺という寺にこもって猛勉強していたそうです。
当時の私はなぜか「寺にこもって勉強しまくる」というのがすごく憧れで、かっこよく見えていました笑 「俺もやりたい!」みたいな。
とにかく家では勉強に集中できなかったので、
「お寺のような静かで雑音もなく、心が洗われるような場所で勉強だけに集中できるなんて素敵やん」
・・・と彼の受験勉強のやり方に憧れていました。
まさか彼のせいで日本がここまでボロボロになってしまうとは、当時は夢にも思いませんでしたが。
ただし武村大蔵大臣は麻生太郎財務大臣と違い、
「財政赤字は何の問題もない。むしろ国民にとって良いこと」
という事実を単純に知らなかっただけだと思われます。
(一方、麻生太郎はこの事実を知っています。証拠も多数。だから紛れもない国賊だと断罪すべきなのです)
1995年から26年も経過しましたが、四半世紀以上も経過していながら、
恐ろしいことにこの国は進歩しないどころか、衰退しまくってきました。
水道や道路などの公共インフラはボロボロ、災害が起こるとすぐ(本来死ななくてすんだはずの)死者が多数出る。
国民は総貧困化し、貯金できない人だらけとなり、結婚できず、明日の生活に困る人だらけ、GDP は先進国で唯一のびず、
国難ともいえる伝染病が蔓延しても、政府は国民にお金を配ろうとせず、失業者と自殺者を大勢出し続ける。
1995年、阪神淡路大震災があったあの年に、
武村正義は大蔵大臣として「財政危機宣言」ではなく、「財政全く問題なし宣言」をすべきでした。
「財政赤字で日本が破綻するかもしれない」
というありもしないフェイク情報によって、今日本は「破綻」しようとしているのです。
アメリカの社会学者ロバート・K・マートンが提唱した
「自己成就予言」
という理論がありますが、
まさに今日本は1995年の「財政危機宣言」というフェイク情報から、
“本物の危機”を自己成就させてしまったのかもしれません。
それではまた。