- 2025-5-14
- ChatGPT
こんにちは、中西です。
AIがありとあらゆるクリエイティブな分野に進出(というか侵食)してきています。
日々AIに驚いてばかりで、周囲の人がAI関連のツールで作ったコンテンツにも触れたりして、恐ろしい状況になっているのを実感しています。
そんな中、私の中で最近考察の1つのテーマになっているのが
「感動」とは何か?
ということです。これが何だかよくわからなくなってきました笑
AIが作ったコンテンツがあまりにも秀逸で感動する事はよくあるのですが、冷静に考えると、その感動と言うのは、
「AIが、こんなに人間に近いか同等のレベルのコンテンツを作れること」
に対する感動であって、そのコンテンツそのものに感動している感じではないからです。
最近もコーチングのメンバーさんがAIで作ったあるコンテンツを教えてもらったのですが、超絶にとんでもないことになっていて、激しく感動しました。
ところがよく考えたら、その感動は、そのコンテンツそのものの感動ではなく、
「こんなとんでもないクオリティーのものが、AIによってあっさり作られた」という感動
のように思えるのです。
確かに本当にすごいクオリティーなのですが、クオリティー自体に感動しているかどうかというと、それも何割かはあるのですが、やはり
「AIが作ったことに対する感動」
の方が大きいような気がします。
冷静に考えると、AIが作ったコンテンツで感動するときは、ほぼ全てその感動だったように思います。
これが人間が作ったコンテンツ・作品に対する感動と同じレベルの感動になることがあるのだろうか?と思うわけです。
仮に感動したとしても、それがAIによる作品だとわかった時点で、感動できなくなる気がします。
感動的なドキュメンタリーだと思っていたら、全部台本があるヤラセだったときのような興ざめ感。
全く同じ番組でも、ドキュメンタリーだから感動するのであって、それが作られたヤラセだったことが後で判明したら、一気に感動が消えていきます。
つまり、中身そのもので感動しているのではなく、リアルかどうかで感動が決まっているわけです。
AIが作るコンテンツもそれと同じではないのかと。
そうであれば、コンテンツ・作品・芸術といったものは、結局のところ、人間が作り上げたと言う背景がある物語があって、そこに感動してるのではないか。
AIが人間に思いっきり寄せてきて、人間と同レベル、あるいはそれ以上のものを作り上げたとして、そこに本当に感動があるのかどうか。
AIが立派な彫刻を作り上げたとして、その彫刻に人は感動するのか。立派な絵画や立派な楽曲を作ったとして、本当にそれに感動するか。
魂が震えるような感動をもたらす作品・コンテンツ・芸術といったものを、本当にAIが作り出せるのかと言うと、私は怪しいんじゃないかと言う気がします。(認識が甘いかもしれませんが)
もし、感動というものが、人が作り上げたからと言う前提で成り立っているのだとしたら、どこまでいってもAIが作り上げたと言う時点で、
(AIが作ったこと自体に感動する事はあっても)本質的な感動と言うのは得られないと言うことになります。
私もまだ答えは出てないのですが、今のところAIが作ったコンテンツに腰を抜かすほど驚く事はあっても、
また「AIが作ったこと」に対する感動はあっても、
人間が作ったものと同レベルの感動を感じた事はまだありません。
やはり「感動」と言うのは、背景にある人間が作り上げた物語が前提になっている気がします。
もし、この仮説が正しいのなら、本当に実力のある優秀なクリエイターや専門家や芸術家は、
案外AIがどれだけ進化したところで、それを徹底活用する事はあっても、
AIに全てを奪われる心配はないのかもしれません。


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