- 2021-3-31
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こんにちは、中西です。
今月おかげさまでメルマガ配信開始から10周年となりましたので、前回・前々回と
「メルマガが10年続いた理由」
と言うテーマでお話ししています。
これは別にメルマガの継続テクニックの話ではなく、
資本主義社会で、ある程度以上豊かに充実した人生を送るための
「本質論」「原理原則論」
にもなっているはずだと、私自身は考えています。
なぜかと言うと、この資本主義社会において
「継続力」
と言うものがない人は、極めて高い確率で貧困に陥らざるを得ないからです。
世の中には短期的にチャンスをつかんで一気に金儲けをしたいと考える人も少なからずいるわけですが、
そういう人はほぼ間違いなく仕事も人生もうまくいきません。
なぜならそんなおいしい話自体がまずほとんどないのと、
(厳密に言うと0では無いのですが、そういう思考回路の人には、そういう情報は入ってこないのです。積み重ねた信頼がないから)
短期的に一気にお金を得ようとすると、自分自身の価値が伴っていないため、半ば詐欺的なことをして多くの人を犠牲にするか、
仮にうまくいったように見えたとしても短期的にちょっとうまくいって、それで終わりと言うオチになりやすいです。
なので、「継続力」を身に付けると言うのは、この資本主義社会において貧困から脱却して、
「本当の意味での安心や豊かさ」
を手に入れるための、ほぼ必須の条件と言ってもいいくらい重要なポイントなのです。
このあたりの話については、別の角度から以下の記事でも以前書いたことがあります。
私のような飽きっぽい人間が、なんだかんだで1つのことを10年続けられているわけですが、
その継続できたポイントの部分と言うのは、他の人・他の分野における「継続力」アップにもつながる共通した要素である可能性が高く、
その内容をヒントに、読者の皆さんがご自身の継続力アップにつなげることもできそうなのでお話ししております。
それで前回・前々回と話したのは、メルマガを10年続けられた理由として、
「習慣」「興味」
の2つがあったと言う話でした。
大きな「目標」に向かって努力するような感じではなく、
「毎日配信する」と決めたノルマを完全に「習慣」にできたことで、
気づいたら10年経っていて、気づいたら3000通になっていた、と言う話。
大きな「目標」に向かって限界を超えて頑張るような感じだったら、少なくとも私の場合は10年も続かなかったです。そのやり方だとよくて3ヶ月が限界かなと笑
またこの「集中力」と言うテーマに対する「興味」が強かったから、続けることができたと言うのも大きいです。
「仕事だから」と自分の興味のない分野に取り組んでいたら、
1年ぐらいはやれたかもしれませんが、まぁどんなに長くても2〜3年で絶対にやめていたでしょうね。
(上記は概要です。「習慣」「興味」の詳しいエピソードは前回・前々回のメルマガをご覧ください)
ところがさらによく考えてみると、「習慣」「興味」の2つだけでは、10年継続することは無理だったのです。
あと2つあったのですが、その1つが
「使命感」
です。
と言うとだいぶ大げさとも言えますが、他に適切な言葉が思いつかなかったので、このようにしました。
「仕事をする意義」
とも言えるのですが、私の場合はその意義が「使命感」のようなものだった、と言う感じです。
具体的に言うと、前回お話しした通り「集中力」と言う分野に「興味」があったわけですが、
単にそのテーマが「面白そう」と言うだけではなく、
私がたった1人で勝手に実践していた「短時間きざみ勉強法の体系とやり方」を、日本中に広めないといけないと思ったわけです。
なぜなら2時間の動画の前半でお話ししたように、「集中力の誤解」と言うものが日本中に蔓延していて、
そのせいで集中できなくなっている人が山のようにいる事をわかっていたからです。
何せ自分が集中できない側の人間だったので、集中できない人の状況や気持ちが手に取るようにわかりますので。
私は短時間きざみ勉強法を考案するプロセスにおいて、自分の頭で考えまくることしかせず、
多くの人がやる検索だとか本で調べるといった行為は一切していなかったので(だからポモドーロなんてのもこの仕事を始めて数年経つまで知らなかった)、
それ以前に似たような発想をしたことがあった人もいたかもしれませんが、
「短い時間でやればいいんじゃね?」
と仮に思いついたとしても、多くの「集中力の誤解」がどこかで頭をよぎって、結果的に十分に活用できなくなっていた人も多いのではないかと推測します。
短時間きざみ勉強法は、「短くやる」と言う発想自体はシンプルな内容なのですが、
あくまで「集中力の誤解」がたくさんあることを踏まえるなどして、全体像を
「体系的に理解する必要がある」
と私は当初から考えていました。
その体系的な理解をスルーして「やり方」だけ教えたとしても、途中で
「こんなのやる意味あるのかな?」
といった疑問や世間に蔓延している「集中力の誤解」が頭をよぎって、十分に使いこなせないままもとに戻ることがわかっていたわけです。
多くの人はつい
「さっさとやり方だけ教えろよ!」
と考えるのですが、それではダメだと言うことを、私は自分で1から考え抜いて実践してわかっていたので、
とてつもなく面倒臭い作業でしたが、YouTubeの解説動画では
前半1時間で「集中力の誤解」を含む体系の理解
後半1時間で「やり方」の説明
という形にして、2時間の動画を作ったわけです。
ところがその2時間の動画をYouTubeに公開したら、想定外のことが起きました。
皆さんが大量にコメントを書いてくれるのですが、
「やり方は〇〇分から」
とか、
「目次のような2時間のタイムスケジュール」
を投稿してくれる人も続出しました。
〇〇の内容は何分から
△△は何分から
みたいに事細かに書いて投稿する人が続出したのです。
それでは短時間きざみ勉強法を十分に駆使することができません。
「やり方だけを教えろよ」「こんなの30秒で説明できる」
とか何とか言う人もいるわけですが、そんな簡単な話なら戦後75年も、これほどまでに「集中力の誤解」が日本中に蔓延していなかったのです。
今頃日本人の全ての人が勉強にも仕事にも問題なく集中できていたでしょう。
私が広げる前に、とっくに誰かが短時間きざみ勉強法のやり方を普及させていたでしょう。
そうなっていなかった大きな理由の1つが、「集中力の誤解」の存在に多くの人が気づいていなかったこと、
また仮に短時間で実践していた人がいたとしても、体系的に理解せずに「短時間でやればいいんじゃね?」と表面的なやり方だけで実践していたせいで、
そのやり方を十分に駆使できなかったり、ましてそれを
「誰でも再現性のある形で多くの人に広げる」
ことなどできなかったわけです。
それほど私は「体系的に全体像を理解する」のが重要だと考えていたのですが、
「やり方の説明は〇〇分から」
「短時間きざみ勉強法のルールまとめ」
などと次々と投稿されてしまうので(善意から書いてくれていると思うので、気持ちは嬉しいのですがヽ(;▽;)ノ)、非常に困りました。
必死で2時間の映画を作ったら、数分ごとの物語のタイムスケジュールを作られ、話の最初から最後までのネタバレをネットに書かれて、
ラストのオチまで書いているコメントが続出したら、映画監督はかなり迷惑なわけです(ーー;)
「こういう順番でなければこの映画は楽しめない」
とわかって制作しているわけですから、最初から順番に見てもらわないと意味がないわけですね。
映画ならそんなネタバレに怒る人も多いのですが、ノウハウ系の動画は
「やり方さえわかればいい」
と思い込んでいる人が多すぎて、そんなコメントが毎日毎日たくさん投稿されたので、
最初はそういう投稿を削除していましたが、あまりにもキリがないので途中から承認制にしました。
ついでに言うと、「ポモドーロとの明らかな違い」も動画で詳しく解説しているにもかかわらず、
「これはポモドーロと一緒だ!」「パクリだ!」
みたいな的外れなコメントも相次いだので(多分まともに見てない(つД`))、先の理由と合わせて泣く泣く承認制にしたら、
よくわかってない人からするとそれがまた
「やましいことがあるから承認制にしているんだ!」
みたいな勘違いを生んだらしく、的外れな批判(中には批判にもならない中傷まで)ネットに書く人もいて、
途中からばかばかしくなって、その手の頭の悪い書き込みは完全スルーすることにしました。
※もしまだパクリとか思っている人はこちらをどうぞ。
▼短時間きざみ勉強法の考案者が「ポモドーロのパクリ疑惑」の全真相を語った件
話を戻すと、そんな感じで私自身は、
「短時間きざみ勉強法のやり方を日本の学習文化にする」
と考えてやっていました。
この方法を私と同じレベルで理解・実践している人はいませんでしたし、私がやらなければ誰もやらないのは明らかでしたから。
別に全員がこのやり方を実践する必要もなく、動画でも本メルマガでも何度もお話ししているように、あのやり方は集中力における
「弱者の戦略」
なので、私と同じように普通に勉強をしていて集中できない「集中力の弱者」の人だけ、実践してくれればいいわけです。
ただその「集中力の弱者」の人の方が全国的には多いので、そういう人向けに、できるだけこのやり方を普及させて、
1つの学習文化のようにしなければならないと思っていました。
その考えが全くなく、「習慣」「興味 」という要素だけだと、
おそらく私の場合は10年は続けられなかったのではないかと思います。
「興味」があって、研究すること自体は無限にあるとしても、
「飽き」
と言うものがありますからね。
数年位なら頑張れると思いますが、何年か経ってきた時点で、「飽き」に襲われて、
適当に理由をつけて「ご報告。引退します!」みたいな感じになっていたと思います。
「飽き」と言うのは、どんな仕事についていても必ずどこかのタイミングで襲ってくるものです。
ダウンタウンの松本人志さんですら、あれだけ刺激的で変化のある面白い仕事をしているように見えても、
「仕事に対する『飽き』なんて何千回もある。そこを乗り越えてやっていくもの」
という話を、お笑いの仕事を30年以上続けている理由としておっしゃっていました。
つまりどんな仕事でも「飽き」が襲ってこない人はおそらくほとんどいないわけで、
それをそのたびに自分の感情に任せて辞めていたら、継続なんてできないと思います。
では「興味」がある分野ですら襲ってくる「飽き」をどうやって乗り越えるかと言うと、
「仕事をする意義(哲学)」
が自分の中で明確に定まっているかどうかであり(それが自分でわかっていなければ「飽き」に負ける)、私の場合はそれが
「短時間きざみ勉強法を日本の学習文化にする」
という「使命感」(ミッション)みたいなものでした。「志」とも言えるかもしれません。
今まで継続できている理由を何度考えても、「習慣」と「興味」だけでは、
たぶん数年は続けられたでしょうが、「飽き」に負けていたと思います。
ちなみにそうやって「飽き」を乗り越えると、また「興味」も深まっていくので、
厳密にいうと「継続する」と言うのは、その繰り返しのような感じではないかと思います。
卵が先か鶏が先かみたいな話でもありますが、いずれにしろ「飽き」が来るたびに辞めていたら、一生何も継続できないはずです。
それを乗り越えるには自分なりの
「仕事の意義」「仕事哲学」「使命感」「志」
のようなものがないとおそらくは無理で、
そういうもの無しに続けられるのは、長くてせいぜい2〜3年程度だと思います。
(特に私の場合、いい意味でも悪い意味でも、勤め人の方のように「強制力」が働いていないので、
そういう自由度の高い仕事環境の人は、自己コントロール力が求められるため、より上記のような要素がないと「飽き」に負けて終わると思います)
というわけで、このメルマガが10年続いてる理由として、
細かい技術的なノウハウはともかく、大きな要素としては、
「習慣化」「興味」「使命感」
が私にとっては必須条件だったのですが、
よく考えてみると、「もう一つ」あったのです。
その「もう一つ」がないと、絶対に継続できなかったと言い切れる要素があるのです。
それは何かといいますと、
…お察しの通り(笑)、次回に続く!
To be continued
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